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行った場所の記録

塩田千春展に行ってきた

気温が安定しない2019年秋。秋服が辛うじて着られるようになった日に塩田千春展に行ってきた。

場所は六本木、森美術館。以前行ったトルコ至宝展での教訓を踏まえ、普段着の中でも1番可愛くて品の良いワンピースを着て六本木駅に降り立った。

Twitterで展示会の様子を撮った写真のみ見ただけで、前情報はほとんどなしで訪れた。塩田千春さんはドイツで主に活躍するアーティストらしい。また、そのためか観に来ていた人たちの国際色が豊かだった。

前売り券を見せて中に入る。

会場はエスカレーターを上がった場所にあった。エスカレーターを上がるときに繊細なオブジェが天井から吊り下がっていた。冬の雪を被った針葉樹の枝のようなそれは静謐で美しかった。

そのオブジェを潜り、会場に入る。数枚の絵と小さな金色のオブジェを見たあと、赤が視界を埋めた。赤い糸が蜘蛛の巣が幾重にも絡まりあったような様相で小ぶりな船から波のように飛び出していた。SNSでよく見た空間だった、フォトジェニックなそれだと思っていたが実際に見た印象は全く違った。

その作品を見て私はノアの方舟を連想した。神々が、多くなりすぎた生き物たちを波に飲ませたその後を。なぜそんな連想をしたのだろうか。その答えはすぐあとのブースにあった。

塩田千春さんは生と死を意識し、作品を作っているとのことだった。そう語られた部屋の黒い壁に飾られた写真の鮮烈な赤、骨の白、映像の中で白と黒で表された人肌と泥。現代では宗教的観念、儀式などによってオブラートに包まれているはずの生と死があまりに剥き出しにそこには映し出されていた。恐怖と不快感を抱きつつも、鮮烈な印象から目を離しきれずに進んだ。

そこを抜け切ると子供が好む玩具を糸で結びつけた作品が現れた。正直ほっとした。人と人との繋がりを表しているらしいそれは、固まった心持ちをほぐすには十分だった。

ほっとしたのも束の間、次に現れたのは黒い糸と焼け焦げたピアノと椅子だった。黒煙と無常感。再び生と死に直面した。抜けた後に現れた白い窓枠を組み合わせたモチーフも、昔行った廃墟展をどこか連想させた。

ここまでのブースは写真撮影可能であったが、この後は撮影禁止のブースに入る。

塩田千春さんが手掛けた舞台芸術が紹介されていた。舞台展開をどのようにしていたのか気になった。映像が流れていたので見てみる。

以前、シュールレアリスムの映画で「アンダルシアの犬」というものを観た。たしかサルバドール・ダリが関わっていたような気がする。どこかそれを連想した。印象に強く残る一方で言語化が非常に難しい。実際に見てもらうのが1番だろう。混沌とした中、次のブースに行く。

そこには、大量のスーツケースがぶら下がっていた。いくつかカタカタと動いていて驚いた。耳を凝らすと、どうやらモーターが入っており、動くよう工夫されているらしい。空中階段のようなそれらもまた何かしらの「繋がり」を感じさせた。

全体を観た印象として抱いたのは、「正気ではない世界」と「血脈」だった。美術よりも文学に明るい人間なので戦時中の自然主義の雰囲気を持った小説に近い印象を抱いた。

あまりに剥き出しな生死観は人によっては不安と動揺を与えそうだ。

またその一方で、スーツケースや玩具などある種の温もりを感じるようなものもあり、非常に人間的であるようにも感じた。

鮮やかな写真に惹かれて行ったが見事に予想を裏切られた、強烈な印象を与えられた展示会だった。