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行った場所の記録

遅効性ミッドサマー(ネタバレ含む)

先日、大学の友人とミッドサマーを観てきた。

大まかなあらすじとしてはこんな感じ↓


家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる”90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。

(「ミッドサマー」公式ホームページより引用)

 

観終わって抱いた感想は、変な映画だなあと思っただけだった。

画面は確かに鮮やかだけど想定外に突然何かが出てくるとかはなかったし、ストーリーも脈絡や繋がりが初見だとついていけない面があった。しいて言えば、となりがIMAXの劇場でそのあおりを受けて脈絡もなく震度3くらいの揺れがときおりくるのが怖かった。

ホルガ村から帰ってこれなくなることも、吐き気をもよおすことも、彼氏と今すぐ別れようとかも思わなかった。なんなら観終わったあとは鮮やかな花に脳内が埋め尽くされて話の筋もよく思い出せなかった。

どこで見た情報か忘れてしまったが、この映画を作ったアリ・アスター監督はホラーではなく失恋映画として作った。ということは知っていた。おそらく突然びっくりするような何かが出てこなかったのはそういうことなのだろうな。と思った。

 

そんなこんなでまあ特に大きな感慨も持たずに日常生活を送っていたのだが、最近になって変化というか、異常が現れ始めた。

個人的な話になるが春休みに突入してからわたしは暇な時間と彼氏と過ごすことが増えていて、その影響か彼氏に対して些細な不満をぶつけることが多くなっていた。

彼氏はバイトなり、サークル活動なりでわたしと会う以外にもそれなりに忙しく過ごしていたが、わたしはコロナウィルスの影響で総崩れした予定を埋めることができずに些細な喪失感を抱きながら暇な日常を過ごしていた。手近な連絡相手は彼氏であった。

わたしと彼氏の日常のバランスが噛み合わなくなっていた。わたしの日常は彼氏6バイト1サークル1その他2くらいで占められる。それに対して彼氏は彼女3バイト2サークル4その他1くらい占められていた。

 

一度ミッドサマーに戻ろう。

ミッドサマーの主人公、ダニーは精神的に不安定で恋人のクリスチャンに何かあるとすぐに電話をしてしまう。映画の中にはダニーにはとくに親しい友人がいるような描写はなく、それに対してクリスチャンには複数人の友人がいて、映画の中でも彼らと良く遊んでいる様子がうかがえる。

家族を失い、生活にも張り合いがなくなったダニーはおそらく、クリスチャンしか外部と交流することをしなくなってしまう。クリスチャンに依存していくダニーはクリスチャンを失うことを恐れはじめる。

ダニーがクリスチャンに対して相談を持ちかけるとき、クリスチャンの答えにダニーは納得していない。それでもダニーは言うのだ。「ありがとう、あなたの言う通りだわ。ごめんなさい。愛してるわ。」と。コップのギリギリまで水が満たされた状況で、少しだけ水をこぼして決壊寸前の土壇場でダニーは誤魔化している。

おそらく、ミッドサマーではそのギリギリが「セッ○スをしないと出られない部屋」で決壊を迎えるのではなかろうか。クリスチャンは正しくて自分が悪い。という悲劇の立場をとって堪えていたダニーがクリスチャンの正当性をそこで明確に失うのであろう。

 

二人の状況、関係性に対してはいろんな人の意見と考え方があるだろうと思う。わたし自身はこのギリギリまで堪えて水をこぼす。というのは身に覚えがあった。わたしも彼氏にいろいろぶつけつつもこちらから「いろいろ言ってしまってごめんね。」という保険を掛けて、愛しているという言葉で結ぶのである。決壊には至らずに。というか、彼氏は決壊に至るほど悪い人ではないし、決定的な出来事はおこっていないから。

わたしの日常の中で彼氏が占める割合が大きくなっている話は先ほどした。春休みになってわたしはダニーの立場に近づいて来ていた。ダニーほどの重い背景はないけれども、日常で憂鬱になることはあって、気軽に頼れるのは彼氏しかいない。その憂鬱を彼氏にこぼしても絶対に全肯定はしてくれない。彼の考え方があるから仕方ないことは理解しつつも釈然としない思いを抱え続けることはあった。それでまた釈然としない思いをぶつけて、それに対して彼氏も謝りつつも「仕方がないところはあるよ…。」と一言付け加える。そしてわたしは「いろいろ言ってしまってごめんなさい。」と答えて、愛している。で締めるのである。

そんな話し合いをしているあるとき、脳内でふとダニーの姿がちらついた。

これはダニーが画面の中でしていた受け答えとまったく同じだった。それに気がついたときパズルのピースが一気にハマるように自分の日常と、ダニーの立ち振る舞いが重なっていった。

 

「ミッドサマー」を恋人と観ると別れる。

 

映画を観ているときは、観終わってすぐのときにはそこまで共感しなかった。しかし今になって、今頃になってその意味の一端を理解しつつある。映画の余韻がまるで蔓のように音もなく近づいている。

失恋映画としての「ミッドサマー」が、関係を断ち切ることで得られる一時の絶頂に似た幸せが花開く日をちらつかせながら。