野菜

行った場所の記録

モーニング文化

最近、親しい友達に「名古屋旅行いきたい!」「モーニングのおすすめある?」と聞かれることが多いので、まとめてみようと思う。文章書くの好きだし。暇だし。コロナ自粛中だし。

まとめるにしても、わたしは成長の過程をほとんど東京で過ごしているし、親戚の8割が愛知県に住んでいてよく行くくらいなので軽く参考にする程度で読んでほしいです。この文章のソースはわたしがとてもお世話になっている親類一同と親類がお世話になっている喫茶店

 

あと、現在愛知県コロナウィルスの感染者数が全国2位です。持ち込まないよう、拾わないように現状が落ち着いてから遊びに行ってね。コロナが原因でモーニングや味噌カツ味噌煮込み外郎台湾ラーメンきしめんや天むすやナナちゃん人形がなくなることは絶対にないので。

 

①基本モーニング

はじめに、モーニングサービスって一体なに?というところから話して行こうと思う。

 

モーニングとは

茶店で朝行っているサービス。

一般的にはコーヒーにトーストとゆで卵が付いてくることが多い。すなわち、コーヒー1杯分の値段で朝ごはんが食べられちゃうお得なサービスなのである。

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愛知県の某チェーン喫茶店で提供されているモーニング

 

近年ではモーニングサービスも多様化していて、パンビュッフェをしているところや、パンの代わりにケーキの提供をしているところとかもある。多分検索するといっぱい出てくる。

トーストのメニューは選べることも多く(写真のトーストはシナモン)、その中には有名な小倉トースト(食パンの上に小倉餡とバターをのせたもの)があることも多い。

また、コーヒーチケットなる回数券を売っていることが多くて常連客は皆それを買っている。一大チェーン店のコメダ珈琲店でもこのサービスは行っているよ!

 

茶店の開店時間はだいたい6〜8時台と早いところが多く(下手すると5時台に開いてるとこもある)、地域密着型のところだと席案内がなく、各々自分勝手に席につくスタイルもある。

新聞や週刊誌がおいてあることが特徴。

お客さんは朝の散歩の帰りに寄る人、出勤前に寄る人、近所の人と談笑目的で来る人、さまざまである。

 

尾張民のモーニング

「朝喫茶店行ってもだあれもおらん!いかんなあ!コロナはえらいもんだわあ!」

愛知県尾張地方に住むこと75年、おそらく体の8割が喫茶店のコーヒーで形成されているわたしの祖父の最近の一言である。

この祖父は会社からの年金を打ち切られるかもしれないことでメンタルに大変なダメージを受けた日以外は喫茶店に行くことを今日まで欠かしたことのないヘビーモーニンガーだ。

すなわち、コロナレベルの災害にならなければ人々(ヘビーモーニンガーは除く)は日々モーニングを食べに行っているのである。

わたしの祖父宅が特にモーニングが盛んな地域であることも関係しているかもしれないが半径1キロメートル圏内に喫茶店が2,3軒は絶対にある。そして、それぞれの家庭に行きつけの喫茶店が2,3件程度ある。

家にいるお年寄りは毎日の日課としてモーニングを食べに行き、親戚と久しぶりに会う際にも喫茶店を使う。孫が来ればモーニングを食べさせるべく喫茶店に連れて行き、近所の人に何かのお礼をする時にはコーヒーチケットを手渡す。

個人経営の喫茶店では店員とお客さんが顔見知りになっていることも多々ある。おそらく、彼らにとっては喫茶店は自らの生活から決して切り離せない一部であり、文化である。

 

③モーニングの注意点

最近、モーニングサービスが有名になったことにより、サービス内容が一人歩きしていることがある。「意外とショボかった…」なんて思う人も中にはいるかもしれない。

最初に書いたように基本はコーヒーとトースト、茹で卵のセットがだいたい400〜500円程度で食べられるというものがほとんどだ。もし、豪勢なモーニングを食べたいのであればきちんとネットなどで調べて計画を立てるのが良い。

また、ふらっと個人経営の喫茶店に訪れると常連客しかおらず、標準語1,5倍速の尾張弁が空間にあふれていることがある。恐れなくても良い。彼らは早口で声が大きく言葉尻がやや強めなだけで基本は同じ親切な日本人である。多分ね。

 

④個人的解釈おすすめのモーニングの楽しみ方

これは名古屋観光をする際にどんなモーニングを食べたいか。によると思う。

例えば、豪勢なやつとか写真映えするようなモーニングを食べたい!などの観光目的でのモーニングを食べたいのであればネットのおすすめとかモーニング特集記事を見てちゃんと調べていくのが1番良いと思う。中には一日中モーニングやっていたり、トースト以外の品揃えも豊富なところがあったりするし、そういうところにのってるやつは観光客の人が来ることも多いだろうし。

もし、名古屋文化にずぶずぶに勇気を持って触れてみたい!異文化体験したい!と思うのであれば個人経営の喫茶店に朝早くにふらっと訪れるのがおすすめです。きっとそこではコーヒーとトーストとゆで卵が提供される空間で、各々コーヒーを楽しみ、常連同士簡単な挨拶を交わす年配のヘビーモーニンガーとこてこての尾張弁が溢れていることでしょう。

 

⑤最後に

愛知県に現在住んでもいないわたしが書いちゃっていいのかな、と思いながら震えながら書きました。軽めの参考にしてください。

あと、名古屋飯を食し、名古屋土産を買うのであれば名古屋駅の地下にあるエスカに行くんだ。絶対に。

台湾に行ってきた(うそレポート最終日)

いよいよ最終日の朝が来た。

荷物をまとめて、メモ用紙にお礼を書き、チェックアウトの手続きをした。

外に出て、荷物をロッカーに入れたあと、初日に気になった甘味処に向かった。小さくてカラフルなしめ飾りがぶら下がった素朴で可愛らしいお店である。中にはいると、猫のぬいぐるみと目があった。レトロな木製の机に案内された。出されたメニューには写真がついていたため、それを参考に頼んだ。ドリンクは花茶というメニューがあったためそれを付けた。店内には台湾の自然の風景を撮った写真や絵が飾られていた。今回の旅行では台北のあたりしか回らなかったが台中の方に行くとまた違う雰囲気になるのだろうか。とふと思った。

存外早く頼んだものは来た。わたしが頼んだものからは甘く爽やかな香りが立ち上っていた。

同行者は朝から甘いものを食べる気にあまりならないらしくにゅうめんのようなものを頼んでいた。訊いてみたらビーフンだとのこと。

花茶を一口口に含むと紅茶とは少し違う香りがした。桂花陳酒の香りに少し似ている気がした。続いて頼んだものを口に運んだ。どろどろしていて豆と白玉のようなものが浮かんでいるぜんざいのような見た目だがどんな味がするんだろうか。

スッと鼻に香りが通った。ミントが入っているらしい。続いてややもったりした甘みが舌の上に広がった。個人的にはとても好きな味だった。花茶との相性も良くて日本でどこか食べられるところはないのかな…と思った。

朝食を満喫したあとは龍山寺に向かった。この日は最終日のため、西門町の近いところを観光してお土産を買おうということになっていた。

龍山寺に向かう途中、観光雑誌に「地元の人が鳩に餌をやってる」と書かれている場所が近くにあったため立ち寄った。地元の人はいなかったが尋常では無いレベルの鳩は見ることができた。鳩への餌やりを禁止される前の浅草寺が思い出された。

同行者が鳥好きのため、鳥を扱っているお店が多くある通りにも寄った。木で作られた鳥籠に文鳥やインコが飼われていて情緒があった。品定めをしている人もいた。

寄り道をしつつも時期に龍山寺にたどり着いた。赤や黄、青、金色が使われた門は遠目から見ても目立った。上野の東照宮にちょっと似ている。

入館料を払い、中に入ると朱塗りの柱が等間隔に並んでいた。壁には彫刻が施され、豪華絢爛の四文字が似合う場所だった。よくよく見ると柱の根本には金の飾りがつけられている。日本の寺とは様相が随分異なっていた。

突き当たりまで進むと柔和な表情の仏様と天女のような女性の像が置かれていた。部屋の中には日本のものより鋭い線香の香りが満ちていた。線香を一つ買い求めて煙を立てた。

一通り中を見終わると時刻は12時。台湾に来てからまだ一度も小籠包を食べていないことに気がついたため、近くの食堂に入った。

台湾ビール(瓶)を頼み乾杯をした。小籠包と水餃子、青椒肉絲を頼んだ。この八角の匂いともお別れなのか…と思うと鼻の奥が少しだけツンとした。わたしはご飯を食べることが下手くそなので小籠包を無理に口の中に押し込んで食べて熱々の肉汁で口の中を火傷だらけにした。

ヒリヒリ痛む口をもごもごさせつつ、お土産を探すべくショッピングモールに向かった。

とりあえず、パイナップルケーキを買い求め、ぶらぶらしていると九份で見た半額の値段でチャイナシューズが売っていた。水色のその靴は自分の持っているワンピースによく合う気がして即決で買った。

思いもよらぬ良い買い物に上機嫌になったため、その後思い切って少し大きめなからすみも買った。同行者は旅行でテンションが高めだからか珍しく珍味っぽいものもちょこちょこ買っていた。

買い物もひと段落つき、足が疲れたためにカフェに入った。かき氷も食べていないと気がついたためマンゴーのかき氷を頼んだ。マンゴーはトロトロで甘くて美味しかった。ただし、先ほど火傷だらけにした口のなかに果汁がとても染みて痛くて泣きながら食べた。悲喜交交。

かき氷を楽しんでいるうちにバスの時間が近づいてきていた。ショッピングモールを出て、ロッカーから荷物を回収して空港行きのバスが来るバス停に向かった。

「楽しい旅行だったね。」どちらからともなくその言葉が出た。1番よかった場所、1番美味しかったもの。それぞれの感想を言い合った。

バス停に着き、しばらくするとバスが来た。バスに乗ると甘栗の匂いがした。揺られること30分、空港に着いた。

搭乗手続きをして、荷物を預けて飛行機に乗った。日本語と中国語が混ざる空間。アナウンスが流れて飛行機が飛んだ。

台湾がどんどん遠くなっていった。

ありがとう台湾。はじめての海外旅行が台湾でよかった。

 

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台湾で食べた料理一部抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

台湾に行ってきた(うそレポート2日目)

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同行者に台湾での日々を思い出させることにも成功したうそレポート。

 

2日目、未だはじめての海外に対する興奮が覚めていないようで、朝はスムーズに起床した。

化粧を済ませた後、同行者とともに今日の予定と交通機関の乗り換え方法を念入りに確認した。その日は猴硐と九份に行った後に火鍋を食べる予定であった。

猴硐は猫がたくさんいることで有名な村、九份は電車の中でよく天井からぶら下がっている幻想的な光景の町である。

千と千尋の隠しのモデルになったともいわれている大人気観光地で混雑が予想された。旅行雑誌の九份に関する項目はよく読み返した。そんなに広くはないため2,3時間で回ることが可能。夜の20〜21時ごろは帰りが混雑するため注意、夕方から夜にかけてが綺麗、云々。

確認が終わって各自荷物をまとめ、ホテルを出た。この日は朝ご飯に外でお粥を食べると決めていた。

公園の横を通り過ぎるとタンクトップのご老人がたくさんいた。おそらく太極拳をやっているようだった。生太極拳である。同行者と2人、テンションが上がってしばらく見てしまった。

寄り道をしつつも、無事にお店についた。観光雑誌に載っているだけあり、昨日行ったお店よりは綺麗な感じであった。海鮮のお粥を頼んだ。

朝10時なのにも関わらず、それなりにお客さんが入っていた。お粥を待っている間にも絶えず新しく人が入ってくる。昨日行った故宮博物院や夜市の話をしている間にお粥がきた。

やや小ぶりな丼の中になみなみ入っている。匙でかき回すと具がかなり入っていることがわかった。これで300円なのは安いな…と思いながら一口食べた。

海老の香りがくちいっぱいに広がった。出汁もよくきいててとても美味しかった。脂っこいものを昨夜食べた胃にしみた。

結構しみじみ食べていた気がしたのだがあっという間になくなっていた。支払いにもだんだん慣れてきたな…と思いながら勘定を済ませて駅に向かった。

西門から猴硐までは電車で行くことができる。

板南線に乗り、南港駅で乗り換えた。この時、乗り換えがスムーズにいかずに少し動揺してしまった。台北鉄道に乗り換えて10駅どうにか着いた。時刻は12時だったため、お昼を食べる場所を探した。

猴硐は猫が沢山いる村として有名で、ご飯屋さんを探している間に猫モチーフの物が沢山置いてあった。猫の銅像がデフォルメされていて少し奇妙な雰囲気を醸し出していた。あちこちに猫がいて、ちょろい人間であるわたし達はすぐに猫のもとに走っていってしまいご飯屋さん探しはとても難航した。かわいいものの前に人は無力である。どの猫ちゃんも愛嬌があったのだが特に茶虎の猫ちゃんがかなりたくさん撫でさせてくれた。神楽坂のむぎまる2のすんちゃんを彷彿とさせる猫ちゃんだった。このこにも名前があったのだろうか。

どうにかご飯屋さんにたどり着いたのは14時。

もうおやつの時間になってしまったので猫のクッキーが載っている蒸しパンみたいなケーキを食べた。キャッチーな見た目に反して上品な味だった。

この後さらに猫ちゃんを満喫して駅に着いたのは15時だった。電車に乗り、隣の瑞芳駅に向かった。観光客らしき人についてバスに乗り換えた。揺られること40分、無事に九份にたどり着いた。到着時刻は16時。猫ちゃんに翻弄されたわりに計画通りではあった。まだ夕刻までは少しあったため、お店を冷やかしながら石段を登る。人が多くあまり道端には立ち止まらない空気だった。浅草寺の仲店通りに雰囲気が似ていた。途中、中華風サンダルでかわいいものがあったのだが、観光地価格だったためぐっと堪えた。電車の広告で見た通り赤い提灯があちらこちらにあった。

17時半、石段の頂上にたどり着いた。周りの人に押し合いへしあいされつつも街を見下ろすことができた。山を背景に夕陽と提灯に照らされた町はたしかに美しくて幻想的だった。どこか温もりを感じさせる景色で一筋だけ、涙がこぼれてしまった。最近読んだ漫画に「恋という感情は懐かしさだ。」というような描写があってその場面が鮮やかに蘇った。感極まって思わず同行者の手を強く握ってしまった。

日が沈むまで景色を眺めて石段を降った。

バス停にたどり着き、バスに乗る。

景色の話をしているうちにふと、聞き覚えのない駅の名前を聞いた。

わたし達は瑞芳に向けて戻っているはずである。それなのに、聞き覚えのない駅の名前を聞くことはあるのだろうか。

答えは否である。このバスは反対方面だった。慌ててバスを降りて反対方面に向かう。この時、バス停がなかなか見つからず苦労した。どうにか瑞芳行きのバスを見つけて乗る。

結果的に空いてるバスに乗れてラッキーな気がしないでもなかったが肝はやや冷えた。瑞芳駅にたどり着き、電車に乗って台北駅に向かった。

事前に調べていた火鍋の店に向かう。同行者が辛いものが好きで一度食べてみたいという要望があったため火鍋を食べることにした。

念のため、ミント味のガムは日本で購入した。いざ火鍋…!

お店に入り、火鍋を頼む。香辛料の香りが漂い、緊張の面持ちで話をしている最中、白と赤のおめでたい色のスープが運ばれてきた。

親切なお店で店員さんが具材のセットしてから下がってくれた。地獄の釜のようにぐつぐつ煮たっている。

一通り火が通りお互い皿に装う。はじめは赤い方から。白菜を口に運んだ。

熱い、美味しいが順番にきた。ピリっとするけれど食べられそうだ。二口目を口に運ぼうとした時異変が起きた。

暑い、痛い、である。慌てて水を飲んだ。

目の前の同行者にバッテンマークのジェスチャーをした。ダメです。

結局その後は同行者が滝のような汗を流しながら美味しそうに一人で食べていた。ちなみに白い方はわたしも美味しく食べられた。

シメはラーメンだった。満腹のお腹を抱えて満足でお店を出た。

お店から駅に向かうまでの道には歴史を感じる建物がいくつかあった。おそらく日本統治時代のものなのだろうな、と予測ができた。暗い中そびえるそれらの建物は九份とは別の幽玄な美しさがあった。近代のものがわたしは好きなので興味を持ってそれらを見た。

しばらく散歩して時間は夜の22時、駅にたどり着き西門に向かった。いよいよ明日が旅行の最終日、車窓から外を眺めながらなんだか少しだけ寂しい気持ちになった。

台湾に行ってきた(うそレポート1日目)

3月上旬、台湾に行ってきた。

国内旅行が好きで、今まで一度も海外に行ったこともなく、卒業の機会に海外旅行に行こうと決意した。パスポートの申請は余裕を持って、旅行雑誌も3冊も買ってしまった。

計画も分刻みで、換金は渡航先ですべきであること、ポケットWi-Fiが必要なこと、お水のことや、公衆トイレのこと。海外旅行の調べることの多さに驚きつつも準備万全、羽田空港から飛び立ち3時間、桃園空港にたどり着いた。

保安検査は前回の長崎旅行で経験済みだったのでスムーズにできてよかった。スーツケースが壊されていたらどうしようと不安もあったものの、綺麗な状態でかえってきた。

換金はテキパキしたお姉さんのおかげで無事ににすみ、空港から市街地に行くバス停も探すのに苦戦しつつも余裕を持って発見することができた。

隣のおじさんが食べてる甘栗の香りを嗅ぎながら、満杯の車内で揺られること30分、宿泊予定の西門にたどり着いた。

今までの人生で円しか使ったことがなかったため、向こうの通貨で支払うことはドキドキしたが車掌さんが親切に教えてくれた。謝謝!

事前に見ていた観光雑誌によれば西門は日本でいう原宿の立ち位置らしい。雰囲気は都心の感じに少し似ていたが、原宿よりもゆったりとした空気が流れている気がした。

また、香辛料の匂いがどこからともなく香っていて、そこで初めて異国にきた実感が湧いた。

チェックインまでは時間があったため、近くの料理屋に入る。同行者の人と、ご飯を食べるとき半分は有名店で、半分は現地で目に入ったお店で食べようと決めていた。

店に入ると異国の言葉で何かを言われた。「いらっしゃいませ。」ということなのだろうか。

机に案内される。水は出されなかった。

メニューからかろうじて読めて言える自信のある烏龍茶と魯肉飯を頼んだ。

店内を見渡すと壁がやや黄みを帯びていて少しだけ不安になったが家族連れも多かったため、まあ大丈夫だろうと心を落ち着かせた。各テーブルには赤い提灯が置かれていた。テレビで流れているのはおそらく大河ドラマのようでヒゲの軍人らしき人たちが喧嘩をしていた。

ついに来ちゃったね、と何度目か分からない言葉を同行者にいった。わたし達はお互いはじめての海外旅行で不安ながらも心待ちにして楽しみにしてきた。

この後は故宮博物館に行って夜市に訪れる予定だった。電車の場所と乗り換え方法を確認しているうちに頼んだものがきた。

烏龍茶は日本のものより香りが良くてこくがあった。家族のお土産にいいかもしれないと思いながら魯肉飯を食べる。

あまだれや香草の香りがわたしは苦手なのだが、この魯肉飯はとても美味しかった。烏龍茶とよく合うのが理由かもしれない。

脳裏に、谷崎潤一郎の『細雪』でロシア人の女性が日本の中華料理店は見た目が汚いお店の方が美味しいと言っていたことが過ぎった。

以前の旅行は一人だったため、感想の共有ができなかったことが寂しくもあったが、今回は味の感想を言い合いながら食べられたのでことさらに美味しかった。

食べ終わり、少しもたつきながらも会計を済ませて外に出た。ホテルまで歩き、チェックインを済ませた。ホテルには日本語ができるスタッフがいて少しホッとした。

荷物を置いてお腹を少し休めたあと、ホテルから駅に向かった。駅は歩いて5分ほどの場所にあるようだ。当たり前だが、街中で日本語はほとんど聞こえなかった。心細さと新鮮さが胸をいっぱいにした。

電車は地下鉄だった。切符の買い方や路線図の見方は日本と大差ないようだった。複雑怪奇首都圏内の路線図を見慣れているわたし達はそこまで困ることもなかった。

当たり前のことだが電車内の表示が全て漢語であったのが印象に残った。

電車を降りたのち、バスに乗った。

この時、バス停の場所がわからず、現地のお兄さんに中国語で尋ねたら中国人と勘違いされたらしく、道順を中国語で説明されて慌ててしまった。第二外国語で少しだけ習ったからカッコつけてしまった。ごめんね。お兄さん、うぉーしーりうべんれん。

そんなこんなありつつも、無事に故宮博物館にたどり着いた。

堂々たる白い建物は美しく立派だった。中でチケットを購入すると大理石なのだろうか、白い階段が目の前に現れた。階段の右端には龍の、左端には虎の彫刻が置かれていた。

龍と虎に睨まれつつ階段をのぼる。

有名な翡翠で作られた白菜の彫刻はなかったが、角煮の方は展示されていたため、展示室に向かうと想像以上にリアルな角煮が飾られていた。彫刻らしさを残しているとこといえば当たっている光の照り返しがかなり強いところくらいだった。

赤い壁紙や絨毯で染め上げられた部屋の中で堂々とした角煮があるのはなんだか迫力があった。

美術館や博物館は好きだが、文化的な価値や芸術的な魅力はいまいちわからないのでとりあえず、まんべんなく回った。

個人的には猫を抱いた天女の絵が美しいなと思った。真っ白い肌と真っ白な猫、黒いさらさらした髪と伏せられたまぶたとまつげ、赤くて小さな唇。たった三色のいろのコントラストがシンプルでモダンな感じがしたのが良かった。

これ以外はいろいろ見たのだが、とにかく中が広すぎて印象がぼやけてしまった。悔しい。

各展示室の色味が鮮やかなのに作品を邪魔することなく素晴らしかったな、とは思った。

この後、博物館の前に庭園があったので夕陽に染まる中散歩をした。白梅が綻んでいる下で紺色の制服の少女たちが語り合っている姿が可憐だった。

 

博物館を出た後、本来はバスに乗る予定だったのだが、歩いて士林夜市に向かった。

故宮周辺は観光できる場所があまり無いためか、現地の住民らしき人が自転車で通りがかったり、帰宅途中らしき学生がたくさんいた。

それなりに距離はあったはずなのだが、故宮博物館の感想を言いながら歩いたらあっという間にたどり着いた。夜市は台湾に短期留学していた友達に1番おすすめだと言われていたのでワクワクしながら足を踏み入れた。

赤提灯が照らす中、多くの人が食事を楽しんでいた。温かみがあるのにとても幻想的な景色だった。ぼう…と見惚れているのお腹が鳴った。立ち込める食べ物の匂いが食欲を刺激した。

はじめに目についた屋台で台湾ビールと小籠包を買った。

同行者はかつて中国の屋台でお腹を壊した経験があるらしくはじめに少し難しい顔をしていたけれど、一口食べると二個、三個と食べていた。十全排骨という薬膳スープにも挑戦した。独特な匂いで、こういう癖のあるやつはいつか病みつきなりたいなあと思いながら眉を寄せつつ完食した。

唐辛子たっぷりのいかにも辛そうな食べ物にも挑戦したかったがわたしには無理だった。同行者は汗を流しながらも美味しそうに食べていた。少しだけうらめしかった。

買い物をする時、料理名を指差すのと現地の通貨で支払うときは毎回ドキドキしたけれども楽しかった。

ホテルまでは歩きは遠すぎたので電車に乗って最寄り駅まで戻った。終電を確認してみると0時くらいだった。日本とあまり変わりはないようだ。

ホテルに戻り、ベットに寝転んだ。

気を張っていたこともあり、体の力が一気に抜けるようだった。明日は九份に行く予定がある。まだ旅行初日なことが嬉しかった。

電脳九龍城の思い出

廃墟が好きだ。

というか退廃的なものが好きだ。崩れかけの建物とか、建てこわし中のビルとか、よく熟れた果物とか、枯れかけの花とか、割れた白いお皿とか。あと、耽美派

前置きで性癖暴露大会をしてしまったが、そういったものの中で一番好きなのがかつて香港にあった九龍城砦だ。

九龍城砦、元は明治期につくられた城壁が、戦後にイギリス、中国、香港の領土主張が複雑化してできてしまった無法地帯である。

無法ゆえに、多くの人が集まり、建築基準ガバガバの超高層マンション群ができた。

増築を繰り返された街は何階を歩いているのかすら定かでなく、どこに繋がっているのかわからない管があちらこちらに伸びている。日光はわずかにしか届かない。

屋上にはいくつあるのかわからないアンテナがぎっしりとつまり、すれすれを飛行機が飛んでいく。

わたしが九龍城砦を知ったのは高校生の頃、一目見て心を奪われてしまった。そこから崩れかけの危ういバランスの建物が好きになり、廃墟にも心惹かれるようになった。

ただ、わたしがその存在を知ったときには九龍城砦はその姿を消していた。1993年から1994年の間に取り壊し工事が行われたからだ。

そりゃそうだろう、建築法を無視した上にめちゃくちゃに増築しまくった巨大建築物なんて危なすぎて現代社会が見逃すはずがない。

生まれる時代がもう少し早かったならと、気落ちしながらネットで九龍城砦の写真を収集するわたしの目に留まったのがウェアハウス川崎だった。

ウェアハウスはコンセプトを付加したアミューズメントパークを展開しているグループで、川崎店のコンセプトは「電脳九龍城」だった。

 

あるじゃん!!!九龍城砦!!!

 

馬鹿でかい声で叫んでしまった。

雨で赤茶けてしまった外観に、よくわからない中国語の文字が浮き上がる外観はものすごく魅力的だった。しかも、18歳以下立ち入り禁止。

そんなの、高校生の冒険心と浪漫をくすぐらないわけがないじゃない。

内装も写真で見た九龍城砦とよく似ていて、いつか絶対に行くことを心に決めた。

 

その場所に憧れて、18歳になって、高校を卒業した春に友達を連れてはじめて足を踏み入れた。

堅牢な自動ドアをくぐると、広東語の話し声が真っ先に耳に入った。赤色をおびたトタン張の壁。錆びれたエスカレーターに乗って壁を見ると淋病と歯医者のチラシが所狭しと貼られている。

赤いネオンが煌々と街を照らし、上を見上げると薄暗い中洗濯物がひらひらとはためいている。くすんだガラス窓を覗けばランジェリーを身につけたラブドールが眠っている。

アパートのものだろう整列したポストに錆びた扉、出店に吊るされた北京ダック。

異世界」の一言に尽きる場所だった。

18ぽっちの、イオンとドンキに入っているゲームセンターしか知らない小娘にとって、大人しかいないその異世界は妖しい魅力があった。

 

それから、3回ほど足を運んだ。

2回目からはウェアハウス川崎のイベントで脱出ゲームを実施していたため、それに毎回参加した。

脱出ゲームは場所やイベント内容によって制限時間がかなり短いものも多いが、ここの脱出ゲームは時間無制限だった。電脳九龍城を隅から隅まで探検して、3,4時間かけて毎回謎を解いた。毎回知らない場所を知ることができてとても楽しかった。

 

大好きな場所だった。

昨年11月、ウェアハウス川崎は閉店した。正真正銘の廃墟になってしまった。

今はどうなっているのだろう。もう解体されてしまっただろうか。

今はなきウェアハウス川崎、青春にすべりこんでこの場所があったこと、かけがえのない思い出になって大切に心にいつもしまっている。

 

肉筆浮世絵名品展に行ってきた。

 春の吐息を感じさせつつも、北風が吹き荒ぶ2月頭に太田記念美術館40周年記念の肉筆浮世絵名品展に行ってきた。

若者や観光客があふれる原宿駅にほど近い、大通りから路地に入った閑静な場所にこの美術館はある。わたしがこの美術館に出会ったのは2年前。大学の課題で美術館に関する発表をしなければならなくなり、怖い浮世絵展を観に行ったことがきっかけだった。

手拭い専門店、かまわぬを横目に見つつ小さな入口から中に入ると受付はほどほどの人口密度になっていた。チケットを購入し、展示室に入る。

今回の展示会の目玉は歌麿北斎、応為であった。わたしは奥行きの描き方や明暗の美しさで一時ツイッターを騒がせた北斎の娘、応為の『吉原格子先之図』を一目見たいと思い足を運んだ。

展示室は一階と、二階にあり、応為の絵は一階の序盤に飾られていた。想像よりも小さな絵の中で光に照らされた花魁の顔や着物の赤、部屋の中の明かりに照らされた若い衆の様子は幻想的で艶やかで、どこか近代的な美しさを醸し出していた。

解説パネルには北斎美人画に関しては応為に敵わないと語ったと書かれていて、その才能を知るには十分なものだった。少なくとも応為の絵以上に繊細で艶やかな作品はその場にはなかったと思う。

となりにあった北斎の虎の絵も非常に迫力があった。対になっているという龍の後並んだらどんなに見事であろうか。その後、二階に行った際に『羅漢図』を見たがそれも圧倒的なかっこよさがありとても印象的だった。

応為と北斎の迫力ある絵を見た後はゆっくりと他の展示を見て回った。花魁や美人を描いたものが多く、着物の柄や重ね方が洒落ていて美しかった。

花魁、武士の娘、奥方。さまざまな美人の姿とそれぞれに合った着物の着方や色の重ね方は見ていてとても興味深い。

魅力的なものは多かったが個人的には磯田湖竜斎の『雪中美人図』が好きだなと思った。

雪がまばらに残る中、風に煽られる娘の姿は可憐で、舞い上がる水色の着物からちらりと赤い襦袢がのぞくのは着物にしか出せない色気があった。黒い帯をきりりと締めているのも良かった。

最近、西洋のものや近代のものばかり見ていたので江戸時代の浮世絵に触れたことは新鮮な体験だった。

一通り満喫して美術館を後にし、しばらく歩くとオリンピック後に解体予定のJR原宿駅の姿があらわれた。街並みをそっくりそのまま残すことはできないが、絵はそれを可能にするのだろうな。そんなことを思いつつ、大正時代より原宿の玄関口として建っているその駅舎を写真におさめた。

 

 

 

長崎タウンに行ってきた(2日目)

 朝、目覚ましが鳴る1時間前に目が覚めた。

お茶を沸かして、前日に買っておいた福砂屋のカステラを頬張りつつ、日が昇る中走る路面電車の様子をぼんやりと眺めた。底のザラメがとても美味しかった。

ゆっくりと身支度をして忘れ物がないかを確かめてホテルの部屋を出た。チェックアウトの手続きを済ませて塩の香りが混じる川沿いを歩いて目的地に向かう。長崎旅行2日目の朝一の予定は軍艦島のクルージングだった。

わたしは廃墟が好きだ。一番好きな廃墟は今はなき九龍城、そして二番目に好きな廃墟が軍艦島である。 

軍艦島は正式名称は端島。かつては炭鉱で栄えた島である。かつては多くの人々が住んでいたが1974年に閉山し、無人島となった。日本ではじめて鉄筋コンクリートで集合住宅が作られた場所でもある。

退廃と人工的なかっこよさが共存した世界遺産。ずっと行ってみたかった。軍艦島を見るために長崎に来たと言っても過言ではなかった。

胸をときめかせながら軍艦島デジタルミュージアムに向かった。向かう途中で見た、朝日を受けてきらめく海は美しかった。

ミュージアムで受付を済まし、クルーズの時間まで展示を見て時間を過ごした。映像が迫力があってとても良かった。VR体験などもあってリアリティがすごい。台風の影響で軍艦島に立ち入ることができなかったのでデジタルミュージアムで島の中の様子を少しでも実感できたのは良かった。

映像を見ながら元島民の方の話を聞くこともできた。個人的に好きなエピソードは島にあった監獄が酔っ払ったお父さんたちの反省室になっていたこと。

楽しい時間を過ごしている間にあっという間にクルーズの時間がきた。酔い止めも飲み準備万端、意気込んで船に乗り込んだ。

 

その日は普段の船がドッグ入りしていることによって小型船に変更になっていた。ちなみに海はしけであった。

水しぶきでときどき真っ白になる窓、大きく揺れる船、えづく客、歩くこともままならぬ船内。

デッキに出ることもできたが怖くて船内にすぐ戻ってしまった。デッキで摑まることができるものはトイレのドアノブしかなかった。事前に右回りで島を回ると聞いていて、右側の席を確保したのに左回りに急遽変更。曇る窓の向こう側でぼんやりと浮かぶ島と一瞬デッキに出た時に半分見えた姿。その日の軍艦島はさながらパズーの父親が見たラピュタの姿であった。

 

2時間のクルーズを終えて港に戻る。酔わなかったことだけは幸いだった。まあ一生できない経験かもな…と思いながら旧上海銀行長崎支店に向かった。

ここはとても素敵な建物だった。ツイッターにも写真をあげたのだが青い壁と赤い絨毯、白く発光するチューリップの形のランプ、近代の息づきを残したおしゃれで品のある場所だった。展示もハイテクで興味がある人にはとても良さそうだった。当時の上海の流行歌を蓄音機で流せるブースや、写真撮影ができるところもあった。個人的に道路に面した椅子がひとつだけ置いてある小さな部屋が印象に残っている。なんとも優雅ではないか。

お客さんもいなかったのでゆっくり見て周り、写真をパシャパシャ撮った。

その後、オランダ坂で岩崎屋本舗の角煮饅頭を食べた。軍艦島の思い出が少し悲しかったので課金してちょっと高い方のを食べた。トロトロで柔らかくて、味が染みていて美味しかった。

坂を上がっている途中、教会でお葬式の準備がされているのを見た。ああ、ここは長崎なんだ。わたしの家の近所の教会はミサはやっているけれどお葬式をやっているのは見たことがない。かつて葬儀社でアルバイトをしていた時も仏式と創価学会の式ばかりで、キリスト教式の葬儀を間近に感じたのははじめてだった。

坂を上りきった先には堂々たる大浦天主堂がそびえ建っていた。聖母マリア銅像が坂の下に広がる長崎の街を見守っていた。

中に入ると教会特有の、シンシンとした空気に包まれた。今まで見たどの教会よりも立派で厳かな場所だった。ステンドグラスは美しく、天井は芸術的だった。ここは写真撮影が禁止されていたので実際に足を踏み入れなければ見ることができない。

教会でささやかな祈りを捧げ、隣接されているキリスト教博物館に足を踏み入れる。ここでは日本のキリスト教の歴史をよく知ることができた。迫害の歴史は時に胸に刺さる。江戸時代に生きた小さな女の子が「お父様、お母様、先にパライソに向かいます。」と言い残して亡くなっていったという記録がわたしは忘れられない。

義務教育は、天正遣欧少年使節とわずかなキリシタン大名の存在と踏み絵と天草の乱しか教えてくれない。キリスト教の名前と宗派の名前しか教えてくれない。教会という場所で信条や詳しい歴史を知ることができたのはとても勉強になった。

大浦天主堂を出ると日は傾き始めていた。ふたたび新地中華街に戻り、高速バスに乗る。さようなら長崎タウン、はじめての一人旅行がこの街でよかった。

トンネルを抜け、山の景色を眺めながら空港に向かう。

空港にたどり着くと五島列島の名産地獄炊きうどんを食べた。アゴ出汁とねぎと生姜のつけ汁と生卵と醤油と鰹節につけて食べる細めのうどんは美味しかった。

次は天草に行きたい、そして軍艦島にリベンジしたい。その思いを抱えつつ飛行機に乗った。

機体は揺れていたのに、行きよりは墜ちる心配をしなかった。

窓からのぞく地上の光が増えるほど、自分の住む土地に戻ってきている気がした。