野菜

行った場所の記録

不安の虫

ここ最近、不安の虫がすごい。

不安の虫は蟻に似ている。基本的に1匹は小さい。地を這っている。そして、ときおり群れになってぞわぞわと足元から忍びよってくる。

 

仕事のプレッシャーが増えた。1人で対応しなきゃいけないことが増えた。それに加えて実技研修も増えた。販売の仕方が下手くそなので先輩からアドバイスを受ける機会も増えた。給料は4000円上がった。4000円分の重みは胃と腸に来ている。出勤の日は毎朝下痢をしている。

 

しかしながら別に絶望するほど辛いわけではないし、残業も1時間未満なので家に帰ってご飯を食べて12時ごろにはぐっすり寝ている。職場でいじめられることもないし、気が全く合わないという人もいない。心身ともに健康優良女として生きている。

ただ息苦しい。気を配らなきゃならないことが増えて余裕がなくなっていく様子が手を取るようにしてわかる。喉元を真綿で締められるような不快感を日々感じている。これがぼんやりとした不安か?それにしては明確すぎる気もする。

 

自分なりに気をつかいながら生きているのがデフォルトなので、気を配る先が増えるとキャパオーバー気味になる。みんなそうなのかな。不安の虫がぞろぞろやってきた。

「お前の余裕のない態度、不審だよ。」「余裕のない言葉で相手を傷つけたよ。」「余裕がないから相手が我慢して気をつかってくれてるよ。」「余裕がなくたって時間はあるよ。何でやらないの?」「余裕がないお前は我慢が足りなくてわがままだよ。」

不安の虫は大抵、余裕がなくなったときの身勝手さを攻めてくる。逃げようと思ってまわりをみわたすと外に通じる穴がある。手を伸ばしてみたら何かうごめくものを掴んだ。穴は不安の虫で埋め尽くされていた。

諦めたわたしは肩を落として、湯船の中で、あるいは布団の中で膝を抱えながら不安の虫が満足するまで話を聞き続けてじっとやり過ごすのである。

 

不安の虫はだいたい学生のころに大人に言われたことやそのときの経験をベースに話すので、大人になった今は泣くほど辛くなることはない。大人が言うことが必ずしも正しいとは限らないことを知ってから生きることがずいぶん楽になった。

しかしながら、わたしは自分を客観視することに自信がないので自己を肯定しきれない。自分は正しいと思うことが今対面している相手にとっては、あるいは世間的には正しくないことであるという可能性が捨てきれない。正しくない論で相手を押し込めるのは横暴だし相手を傷つける行為だ。それだけはしたくない。

 

余裕がないうえに不安の虫にとりつかれている今は、自分の我を通したい気持ちと、我を通した後に相手に無理をさせているのではないかという不安に襲われる。

 

晴れてる空が好きだ。雨は嫌いでないけど睡魔で余裕を奪われるから辛い日がある。

せめてもの反抗で、自分が信じたい明るい思い出で不安の虫と戦いながら今日も今日とて生きている。せめて美味しいものを食べよう。