野菜

行った場所の記録

長崎タウンに行ってきた(1日目)

1月下旬、大学生最後の春休みを目前に長崎タウンに行ってきた。高校のころからずっと軍艦島に行ってみたくて念願の長崎旅行だった。

 

旅程は1泊2日。朝、親戚一同の反対を無視してネットで飛行機とホテルのパックプランを購入したことに文句を言われつつも暖かく見送られて家を出た。まだ日が昇る前の暗い空の下、自転車を漕ぎ、電車を乗り継ぎ、空港にたどり着いた。

保安検査にもたもたしながらも大きなトラブルなく無事に飛行機に乗ることができた。飛行機に乗るのは修学旅行以来2回目。正直、墜落しないか怖くて仕方がなかった。遥か上空から日本列島の一部が見えて日本は本当に島国なんだ…と実感したりした。

墜落はしなかった。約1時間半のフライトを終え、長崎空港に降り立つ。スキップしつつ高速バスのチケットを買い、30分バスに揺られて長崎タウンに向かった。山と緑に囲まれた高速道路を走り、田舎なんだなあと思っているとトンネルに入った。

 トンネルを抜けるとそこは街だった。

後々知ることになるが、長崎タウンは四方を山に囲まれていて真ん中のくぼみになった部分が街になっている。突き当たりは海で、外側からは中が見えないような形をしている。急に現れた市街地は異世界のようだった。

長崎新地に降り立ち、中華街を目指す。目当ては江山楼のちゃんぽんである。

横浜の中華街に比べるとこじんまりとした門をくぐった。春節の前だったからか赤い提灯がたくさんぶら下がっていた。ナビにしたがって歩くと突き当たりに鯉が泳ぐ中華店があった。名前を見るとそこが江山楼だった。

お店に入ると着物に割烹着をきた店員さんが席に案内してくれた。出されたお茶が香り高くて美味しかった。1500円の特上ちゃんぽんを見ながら1000円のちゃんぽんを頼んだ。学生なので。

お店は11時半にも関わらずほどほどにお客さんが入っていた。女一人客はわたしだけでドキドキした。

届いたちゃんぽんはとても美味しかった。

とんこつのようなまったりしたスープ、もちもちの麺、海鮮と豚肉、野菜がたっぷり入っている。今までちゃんぽんをロクに食べなかったことが申し訳なくなった。

腹ごしらえを終えて路面電車の一日乗車券を手に入れたのち、歩いて出島に向かう。徒歩10分もしないくらいの距離にあった。中に入ると鎖国当時の街の風景が蘇っていた。

展示されているものは当時の暮らしを示すものや出土したものの数々。個人的には花や唐草の柄の入った襖、畳の上に置かれたずっしりとした洋風の家具がお洒落で素敵だと思った。こんな部屋に住みたい。

入ってきた時と反対側の出口から出ると路面電車が走っていた。緑とクリーム色の塗装で二両編成。なんと可愛い電車だろうか。

路面電車に飛び乗って、長崎原爆資料館に向かう。地元の人が多く利用しているようだった。しっかりした革の鞄を手に持った素朴な雰囲気の女子高生がたくさん座っていた。

しばらく揺られて路面電車を降りる。急な坂を登ると原爆資料館が姿を表した。

中に入ると筒状の建物にそったスロープを降りるよう言われた。展示室は地下二階であるらしい。壁を見ると等間隔で年号が書かれていた。2010、2005、2000、1995、1990…

1番下まで降りるとそこは1945年だった。時計の音が鳴り響いている。展示室に入ると原爆投下前の長崎の風景写真が展示されていた。よくある戦前の、昭和の風景だ。眺めながら次の展示室に入ると時計の音が消えた。

そこは爆心地だった。

鉄骨は溶けてねじ曲がり、わーんわーんとした音がどこからともなく聞こえる。最奥には表面が溶けたマリア像と今にも崩れ落ちそうな教会の門が静かに街の様子を見下ろしていた。

ディストピア。その形容が浮かんだ。退廃的なものは好きなのに、写真は一枚もとることができなかった。

次の展示室は被害状況のことについてさまざまな情報が展示されていた。長崎は推定総人口24万人のうち原爆によって73884人が死亡、74909人の負傷者を出したとのことだった。半数以上の人が原爆によって被害を受けている。

人の手によってそれほどの死傷者を出すことは平和な現代を生きているわたしにとってはありえない出来事だった。震える手を抑えつつ、死傷者の数が書かれたパネルの写真を撮った。戦争がもたらす感覚の麻痺をはじめて手に感じた気がした。

映像資料では原爆の威力が及んだ範囲が映し出されていた。さっきまでいた場所、これから行く予定の場所、全てが赤く染め上がって行った。トンネルを抜けた先は街だった。その街が原爆投下直後、火の海に変わったことが描かれていた。

 

すべてを見終わった後、記念館で黙祷をして平和記念公園に向かった。公園の中は銅像がたくさんあった。全て追悼のために、平和を祈るために作られたものだった。

有名な平和記念の像は想像の5倍大きかった。ポーズを決めて写真を撮る海外からの観光客を見て、ああ、本当に今は平和な世の中なのだとふと思った。

 

路面電車に乗ってトルコライスを食べるために思案橋に向かった。ツル茶んというお店が発祥らしい。夕刻ゆえ、商店街で買い物をしている人が多くいた。レトロで明るい喫茶店に入り、トルコライスとハーフミルクセーキを頼んだ。

出てきたトルコライスは大皿の上にピラフ、ナポリタン、カツ、カレー、サラダが乗ったボリュームのあるものだった。昼のちゃんぽんがほんの少しお腹に残っていたため少し苦労しつつも完食した。若者的には美味しかった。

そのあと出てきたハーフミルクセーキもハーフ?これでハーフ?と思いつつ食べた。冷たくしゃりしゃりしてて優しいミルクの甘さが美味しかった。これで合わせて1700円はコスパがとても良いな…と思った。

再び路面電車に乗って稲佐山の夜景を見に行った。

途中、行先設定を間違えて薄暗い川沿いをひたすら歩き、全然違う場所にたどり着いて途方に暮れたが、どうにかロープウェイ乗り場にたどり着いた。稲佐山のロープウェイ乗り場は淵神社という神社の中にあった。別の世界に行くための境界だ、と密かに思った。

5分ほどロープウェイに登り山頂に着く。美しい真夜中に星々が絡まったような夜景が広かっていた。昼には焼け野原だった長崎の街は、夜には美しく息づく場所に変わっていた。

景色を堪能し写真を一通り撮りおえて、帰りのロープウェイに乗って神社まで降りる。行先設定が正しい帰り道は非常にスムーズに運んだ。

宿に着くとはじめて一人で寝る夜がさみしくも嬉しかった。