野菜

行った場所の記録

はじめてのカラコン

カラーコンタクトレンズ、略称カラコンである。

どちらかというと垢抜けていない部類の人間なのでカラコンとは縁のない人生を歩んできた。

噂では目が大きくなると聞いた。色がつくとも聞いていた。興味は正直あったけれど手を出す理由と勢いがなかった。

ちなみに、コンタクト自体との付き合いは長い。ハウスダストアレルギーと花粉症のために朝起きると目やにでまぶたがくっついてしまうようになってからはとんとご無沙汰ではあるのだが。

最近は仕事柄もあってコンタクトはほぼ付けずもっぱら眼鏡で過ごしているのだけれど、ふとした縁あってカラコンを着用する機会を得た。

なんかこう、劇的に自分が変わる予測に支配されてだいぶテンションは上がっていた。これつけるだけで激垢抜けドール系人間になるのでは?とすら思った。舐めすぎである。

結構どきどきしながら休日に気合いをいれてつけた以下は反省文である。

 

①メイク薄づき問題

よーしアイメイクごりごりにするぞー!!!

と思いピンクのアイシャドウ、グリッター、アイライナー、マスカラを普段より濃いめに装備したもののメイクの劇的変化は得られない結果となった。悲しいかな奥二重なのでアイシャドウを塗った3分の2はまぶたの奥に吸い込まれていく。あと自分では濃いめにつけているつもりでも実際は薄づきなっている気もする。アイメイク、料理の味付けに困っているときの心証に似ている。作る料理だいたい味が薄い。

まつ毛との距離感がわからずに、というかまつ毛を盛ることを恐れてマスカラは自然に伸びるデジャビュのラッシュアップ使っているのだがまつ毛ってボリュームアップするべきなのだろうか。

 

②彫り足らぬ顔

愛知県産純日本人、祖母の代から鼻低い、頬骨高め、顔丸めヨウチェケラッチョ!

という感じなので目の周りだけ浮いた。

黒や茶のナチュラル系のカラーなら問題はないのだがブルーやピンク系の発色が良いものだと目のパンチにその他パーツが全部負けて目から下が妙にのっぺりしているように見えた。

日々せっせとシェーディングとハイライトを塗ってはいるのだけれど、この二つだけではわたしの顔に濃い陰影はできない。レンブラントに学ぶべきか。

 

③巻きとれる髪

カラコンには巻き髪っしょ!と安易に思い髪を巻いたら雨季の湿度100%に負けて家を出た瞬間に髪の毛が全部萎れてしまった。ケープ惨敗である。

ショートに飽きて今髪を伸ばしているので巻き髪は習得したい技術ではある。ケープじゃなくてワックスの方がもち良いのか?

 

個人的な反省点は「色」「彫」「巻」であるけれど、世の中の人はカラコンをつけるときやメイクの濃さとどう向き合っているのだろうか。

今机の上に高発色のカラコンがあと4セット転がっている。

 

童話とうさぎと幼少期

久しぶりにお題箱を開いたら「好きな絵本!」というリクエストが来ていた。なかなかにかわいい文面とリクエストである。

 

絵本。わたしは本が好きであるが絵本というジャンルにはやや疎い。

今でこそ読書好きを公言し、美術館、博物館、喫茶店等に被れる文化好きモドキみたいな女になっているが小さい頃からそうだったわけではない。

幼少期は、ディズニープリンセスおジャ魔女ドレミが大好きなニコちゃんマークのTシャツがよく似合う天真爛漫な幼児だった。大人しく本読んでるというよりは踊ってるか歌っているかしている子どもだった。当時おジャ魔女ドレミ変身セットやアクセサリーをねだった記憶はあるが絵本をねだった記憶はない。どこで道が分岐したのだろうか。

母は寝る前の読み聞かせを欠かさずしてくれたが本を読む人ではなかった。物心つく前は確か『しろくまちゃんのほっとけーき』、物心ついてからはグリム童話集、ディズニーのアニメ絵本、日本昔ばなしをローテーションして読み聞かせられていた。

グリム童話やメルヘンモチーフのもの、怪談は今でも好きだから幼少期の影響は多少残っているのだろうと思う。しかしながら絵本のバリエーションは記憶に乏しい。

そんな中でも強く印象に残っているものが一つだけある。

 

作・絵 ガース・ウィリアムス 訳 松岡享子

しろいうさぎとくろいうさぎ

 

表紙を見た瞬間の、絵の印象がとても記憶に残っている。

それまで読んでもらってきたどの絵本よりも描き込みが細かかった。ぼんやりとした輪郭は美しくて、日が差しているのであろう森の薄暗い明るさは都会に暮らすわたしにとっては新鮮だった。その中にいる2匹のうさぎの毛並みは平面で見ても柔らかそうだった。

小さいわたしはくろいうさぎが悲しそうな顔で「しろいうさぎとずっと一緒にいられますように」と願う理由はわからなかったが、しろいうさぎとくろいうさぎが一生一緒にいる選択をした姿、たった2匹で完結する物語が予想外にロマンチックで一瞬で好きになってしまった。

 

ぼんやりとした輪郭と、ロマンチックで幸福な結末を見るために何度もページをめくった。自分から何度もくりかえし読んだ絵本はもしかするとこれだけかもしれない。大人になった今でも魅入られるように眺めていた記憶を思い出すと、少しだけ眩しくて胸がときめくような気がする。

しろいうさぎとくろいうさぎ』は「結婚のプレゼントにも選ばれる」らしい。この絵本がある新婚家庭はきっと幸せな空気で満ちている美しい家なのだろうなと思う。

 

まれに友だちと絵本の話をすることがある。

本が好きなのに絵本の話だけはあまり出来ないのが実は少しだけ悔しい。今度こっそり図書館で絵本をめくろうかしら。ちょっと恥ずかしいかな。

強面の人、みんなちいかわみたいな絵描いてくれ

先日、海鮮丼を食べた。

有名なところらしく、いつも行列ができていた。結構前から気になっていた場所だった。

開店とほぼ同時に並んだのでさほど待たずにお店に入れた。ウキウキしながらカウンター席に着いたら、となりにスキンヘッドに柄シャツを着た強面のお兄さんが座っていた。

お兄さん話し方もなかなか強面で端的だった。メニュー見せられる前から食べるものが決まっていたし言葉は丁寧だけれど愛想とかにこやかさとかが一切無い。声は低い。

悪い人では無いだろう。しかし怖い。

かなり美味しい海鮮丼をもくもくと食べながら隣のお兄さんが怖いと思っていた。わたしとお兄さんを隔てるものは薄い透明なパーテーション1枚である。お兄さんが今ここで熱々なお茶をひっくり返したら多分火傷するのわたしなんだろうな。

海鮮丼を食べながら脳みそが微妙な緊張状態になり思考が回転しはじめた。

脳内の「海鮮丼美味しい」の横のスペースが空けられ、隣のお兄さんがデフォルメの、目がキラキラの小動物を描いている映像が流れた。ちいかわだ。

緊張状態の脳みそはお兄さんにちいかわ描かせていた。

「海鮮丼めっちゃ美味い」と「強面のお兄さんがちいかわを描いててかわいい」という二つの感情が並列した。

その一件以来、なんだかツボにハマってしまい「強面な人のちいかわブーム」がわたしの中で来てしまった。働いているときに強面の人が来ると脳内で強制的にちいかわを描かせてしまう。

真剣な強面の顔と太くて硬そうな指が白いノートの上にちいかわを描く。描き終わるとふふっと微笑むのである。かわいい。

あと強面の人が物腰柔らかかったりすると「ちいかわ描いてるしな…」と妙に納得するようになった。勘違いをしたくない。ちいかわを描いている強面の人はわたしが生み出したイマジナリー強面なんだ。

 

ナガノさん、めっちゃ強面の人の可能性あるのだろうか。

不安の虫

ここ最近、不安の虫がすごい。

不安の虫は蟻に似ている。基本的に1匹は小さい。地を這っている。そして、ときおり群れになってぞわぞわと足元から忍びよってくる。

 

仕事のプレッシャーが増えた。1人で対応しなきゃいけないことが増えた。それに加えて実技研修も増えた。販売の仕方が下手くそなので先輩からアドバイスを受ける機会も増えた。給料は4000円上がった。4000円分の重みは胃と腸に来ている。出勤の日は毎朝下痢をしている。

 

しかしながら別に絶望するほど辛いわけではないし、残業も1時間未満なので家に帰ってご飯を食べて12時ごろにはぐっすり寝ている。職場でいじめられることもないし、気が全く合わないという人もいない。心身ともに健康優良女として生きている。

ただ息苦しい。気を配らなきゃならないことが増えて余裕がなくなっていく様子が手を取るようにしてわかる。喉元を真綿で締められるような不快感を日々感じている。これがぼんやりとした不安か?それにしては明確すぎる気もする。

 

自分なりに気をつかいながら生きているのがデフォルトなので、気を配る先が増えるとキャパオーバー気味になる。みんなそうなのかな。不安の虫がぞろぞろやってきた。

「お前の余裕のない態度、不審だよ。」「余裕のない言葉で相手を傷つけたよ。」「余裕がないから相手が我慢して気をつかってくれてるよ。」「余裕がなくたって時間はあるよ。何でやらないの?」「余裕がないお前は我慢が足りなくてわがままだよ。」

不安の虫は大抵、余裕がなくなったときの身勝手さを攻めてくる。逃げようと思ってまわりをみわたすと外に通じる穴がある。手を伸ばしてみたら何かうごめくものを掴んだ。穴は不安の虫で埋め尽くされていた。

諦めたわたしは肩を落として、湯船の中で、あるいは布団の中で膝を抱えながら不安の虫が満足するまで話を聞き続けてじっとやり過ごすのである。

 

不安の虫はだいたい学生のころに大人に言われたことやそのときの経験をベースに話すので、大人になった今は泣くほど辛くなることはない。大人が言うことが必ずしも正しいとは限らないことを知ってから生きることがずいぶん楽になった。

しかしながら、わたしは自分を客観視することに自信がないので自己を肯定しきれない。自分は正しいと思うことが今対面している相手にとっては、あるいは世間的には正しくないことであるという可能性が捨てきれない。正しくない論で相手を押し込めるのは横暴だし相手を傷つける行為だ。それだけはしたくない。

 

余裕がないうえに不安の虫にとりつかれている今は、自分の我を通したい気持ちと、我を通した後に相手に無理をさせているのではないかという不安に襲われる。

 

晴れてる空が好きだ。雨は嫌いでないけど睡魔で余裕を奪われるから辛い日がある。

せめてもの反抗で、自分が信じたい明るい思い出で不安の虫と戦いながら今日も今日とて生きている。せめて美味しいものを食べよう。

 

 

 

ゴリラの肉を食っているエッセイを読む

本を読むことが好きだ。どれくらい好きかと言えば大学の進学先に国文学科を選ぶくらいには好きだ。

大人になるにつれて子どもの頃ほどは読まなくなってしまっているが、読書は今でも楽しいし常に何かしらの本は抱えている。

学生の頃はよく図書館や本屋に行ってずらりと並んだ本の背表紙を眺めた。好きな作家の名前を探していることがあれば、素敵な題名を探していることもあった。表紙は必ず見た。表紙が好きな本はだいたい中身も好きな本だったから。

そんな感じで本を借りたり買ったりしているうちに、なんとなく好みの本とかそのときどきに求めている本を見つけるのが上手くなってきた。読書に関する直感が磨かれたような気がする。

大学に入ると月に3,4冊は文学作品を読まざるを得なくなり、自分が好きな本を読む時間はやや減った。近代の作品を読むことは好きだから全然苦ではなかったけれど、背表紙をじっと眺めて本を探す機会はぐんと減った。

大学を卒業して働き出してからの読書生活は、興味のある文学作品半分、好きなジャンルの小説やエッセイ半分くらいの割合になった。学生の頃は全然読まなかったエッセイを読み始めたのが最近の変化である。

 

先日、手帳を買いに書店に行き、久しぶりに背表紙をじっと眺めた。

わたしにとって本を選ぶ行為は年々難易度が上がっている。好きな作家や好む雰囲気、内容量のこだわりが出てきてしまっているから。昔ほどライトな作品や流行のものを読まなくなった。

本棚は全部好みの本で埋めていたいじゃないか。

手に取ったり戻したり、文庫本のコーナーを三周してやっと購入する本を決めた。

 

高野秀行

『辺境メシ〜ヤバそうだから食べてみた〜』

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167915995

 

本屋で食を求めるゾンビのごとくフラフラとさまよっているとちょっと脳内から貪欲で投げやりな液体が滲み出てくる気がする。

最終的には直感に頼り、手帳と一緒に購入した。

家に帰ってワクワクと開けてみると手帳は鮮やかなビタミンオレンジ、本は辺境で(時に極限状態で)日本では食べない食材を慣れ親しみのない調理方法で食べているエッセイだった。遠回しに最近自分が仕事に疲れていて強靭な生命力を求めていることを感じた。強く生きよう社会人2年目。

本を開き、序文を通り過ぎればゴリラとチンパンジーの肉を焼いて食うところからはじまった。ゾクゾクしてしまう。

アフリカの奥地に暮らす人は槍でゴリラを狩って食べるらしい。ゴリラと槍で相対するのは恐ろしくないのだろうか。なぜゴリラの肉を選んだのだろうか。わたし達がクマの肉を食べるのと近い感覚なのだろうかと矢継ぎ早にふと思った。

この章では、コンゴ人の動物学者が現地の人にゴリラは国際保護動物だから殺して食べてはいけない。と諭した後にゴリラを銃殺したところで笑ってしまった。こういう不謹慎ともとれる笑いが大好きだ。

読み進めていくと、昨今注目されている昆虫食なぞは序の口で、牛の脊髄を食べたり人間の胎盤を餃子にして食べたり、覚醒する草を大量に口に押し込んだりしていた。絶対作者クレイジージャーニーに出てるでしょ。と思ったら本当にクレイジージャーニーに出ていた。

一番好きなのはナガ族の話。知っている人もいるかもしれない。首狩り族として有名である。

ナガ族はいくつかの部族の集まりであるとのことだった。異なる部族の共通点が「首狩り」と「納豆」であると書かれていた。首狩りと納豆横に並ぶことってある?

文章自体は穏やかで楽しそうに終始つづられていた。内容と文章のギャップがとても良かった。

 

こういうアンダーグランドというか、ちょっとぶっ飛んでるものというか。そういうものが好きだ。自分に飛び込む勇気がないからせめて知識だけでも、という気持ちもあるのかもしれない。

しかしながら、わたしは知らないことをワクワクしながら読んでいるが、わたしが知らないことは世界の裏側に住む人々にとっては常識だったりするわけで、なんだか途方に暮れてしまう。

世界って広い。世界に飛び込める人って本当にすごい。

食べる勇気が出ないものが大半ではあったが覚悟を持ってフグの卵巣の糠漬けはいつか食べてみたいと思う。フグの卵巣、生で食べると人間を30人殺せるらしい。ゾクゾクしてしまう。

 

 

ぬばたまの黒髪、爆発する毛量

美容院で「超健康毛ですね!」と言われたことがある。美容院の鏡の中、一度も染めたことのない黒々した髪は濡れて白く光っていた。

 

髪の毛が太い。おまけに毛量が多い。

部屋の中や洗面台のまわりでわたしの毛が落ちていると絶対わかる。主張が強い。洗面台に落ちた髪の毛を眺めていると「髪の毛です!!!」という声すら聞こえる気がする。あと、大量に落ちてる。

昔からこの髪の毛を結構持て余していて、基本的にはショートヘアで過ごしていた。

髪を伸ばそうと思ったことがまったくないわけではない。右側の毛先だけ跳ねる癖、無尽蔵に増える毛量、湿度が高いと膨張する頭のシルエット…これらの問題をどうにかするには切ったほうが早く解決した。乾かすの楽だし。

思春期に母親に髪の毛の相談をしたことがあった。母は柔らかくて細い髪の毛をしていてボリュームも少なかったため、わたしの相談内容がおそらく根本的に理解できなかった。「ブローしたら?」という答えが返ってきたため、ブローをしてみたらわたしの髪は空気を含み、ひとまわり膨れた。あと、癖も改善されずに元気よく跳ねた。

 

当時通っていた美容院は10年くらい通っていたところで親も弟もここに通っていた。小学校と中学校の近くにある地域密着型だったため、髪を切りに行く度に同級生の誰々がこないだ髪を切りにきた。という情報を聞きながら切られていた。

ショートにしてくださいと言うとモンチッチのような髪型に、毛量を減らしてくださいと言うとシャギーを入れられて花男2の牧野つくしのような髪型になった。

安かったので通っていたのだが、高校を卒業する前に行ったら家族の様子をずっと聞かれて嫌だったので美容院を変えることを決意した。このころ我が家は離婚して日が浅かった。

 

大学に入学してからは成人式に備えてと、美容院に行くのが嫌なのもあって髪を無尽蔵に伸ばしていた。おそらく相当ボサボサになっていた。成人式が終わると速攻でホットペッパービューティを開いた。PR漫画のネタみたいだ。

人生ではじめて美容院を変えたのでドキドキしながら切りに行った。平日の昼間、全然話しかけないタイプの美容師さんに当たったために静寂の中で髪の毛を切った。カルチャーショックを覚えたが、見せた写真に近い仕上がりになっていたため通うことにした。美容院代が2500円から4400円にレベルアップした。

そこから3年くらいは髪をどんどん短くしていって、うなじが見えるくらいのショートヘアにしていた。働きはじめてしばらくして最近ショートにも飽きてきたから伸ばそうとぼんやり思った。

 

23歳、気まぐれにヘアマスクを買った。コスメのアウトレットショップセルレで半額だったから。

家に帰ってつけてみると髪がサラサラになった。お風呂上がりふんわりと蜂蜜の香りが漂った。

この調子で、と思い美容院に行った。金髪のお兄さんが髪の毛を切ってくれた。髪をドライヤーで乾かしているときに話しが弾んだため、お互いの声が聞こえずに会話がめちゃめちゃになった。

前髪の分け目の短い毛が浮きやすいのでワックスを使ってくださいね。と帰りがけに言われた。23年生きていてはじめて知った情報だった。モチベーションが上がっていたので帰りにヘアトリートメントを買った。

週に2回のヘアマスクと、毎日のトリートメントをするようになって髪に優しくなった。毎晩きちんと髪を乾かしてトリートメントを染み込ませた。

アホ毛と寝癖が劇的に減り、癖毛も無くなった。

高校生のころにサラサラの髪を巻いていた同級生たちや、大学生のころに明るい色に染めていた彼女たちはきっとこういうことをきちんとやっていたのだろうな…と思った。

23歳OLにして、はじめて髪の毛との向き合い方の一端を理解した。もっと早く向き合うべきだった気がしなくもない。怠惰な自分からは目を逸らし、今わたしの髪の毛は人生の中で1番さらさらである。

 

 

夜は短し歩けよ乙女

大学生になってはじめての文化祭の日が彼とはじめて会った日だった。

声をかけたら彼があまりに穏やかな声で応えるのでびっくりしてしまった。異性と話すのが苦手なわたしにとっては青天の霹靂だった。

言葉を交わすごとにどんどん好きになってしまい、好きな作家が同じだと気がついたときには多分もう恋に落ちていた。

相手の心中を推し量って、想像して話すのが上手な彼といるのは心地よかった。空きコマになるとよく彼を探して図書館をうろうろしていた。はじめて好きな本を話すことができた嬉しさと、彼と話せる穏やかな幸福に10代最後の年に夢中になった。

彼が好きな作家のサイン本をプレゼントしてくれたときはとても嬉しかった。

ある日、好きな作家の作品が映画化されることが発表された。わたしが国文学科のある大学に進むことを決めるきっかけになった作品だった。

必然的に彼とその話になった。一緒に観に行く?どちらからともなくその言葉は出た。

一緒に映画観に行こうと話した日の夜、彼から本当に見にいく?という確認の連絡が来た。LINEの返信を打ちながら高鳴る胸を押さえるのに必死だった。完全に恋に落ちていた。彼からは「わーい!」と返信が返ってきた。

 

サークル活動が終わった後に向かった映画館のスクリーンの中では、主人公が恋をしている乙女を必死に追いかけていた。

「なるべく彼女の目にとまる作戦」通称ナカメ作戦を決行する主人公の姿が図書館でウロウロする自らの姿に重なった。

すべてが好きだなあと思った。彼が教えてくれたから、映画を作った監督の名前を知っていた。

映画の終盤、花粉症で鼻水が大量に出る中、鼻をすすらまいと必死になりながら映画を見ていたわたしに、彼はそっとティッシュを差し出した。

画面の中では、主人公が乙女をデートに誘っていた。わたしは彼が手渡してくれたティッシュで静かに鼻をかんだ。

今思い返せば、映画を見ながら鼻水を垂らしつづける女に彼がドン引きしなくてよかったと心底思う。彼は手持ちのポケットティッシュを全部くれた。おおらかなところも好きだ。

帰りにスタバに寄ってわたしはココアを、彼はコーヒーを飲んで感想を言い合った。

池袋駅の地下通路がやたら輝いていた。気がついたら鼻水は止まっていた。本当に良かった。

 

森見登美彦先生の作品は前に増して好きになった。名も知らなかった湯浅政明監督の作品もたくさん観た。

有頂天家族3と、犬王早く観たいね。