野菜

行った場所の記録

2021年度末

3月31日だ。今年度も最後を迎えてしまった。

社会人生活が明日から3年目に突入する。本当???全然仕事できないが。

年明けから2月までは社内試験があったりコロナの感染者数を鑑みて友人と会うのを控えたりと暗黒期を過ごしていたが、3月に入ってからは試験も終わってワクチン接種を終えたことで友人と遊びなかなか楽しい日々を過ごしていた。

さて締めくくりだ!というタイミングで胃腸炎にかかって今ゲロゲロ吐き戻しながら文章を書いている。こういうところがわたしはいつも詰めが甘い。

ひさびさに連休を過ごしているので今年一年やったことや起こったことを振り返ろうと思う。

 

①短歌に触れた

ご縁があって短歌結社に参加させてもらった。

趣味に関してはこれが1番大きなことかもしれない。俳句短歌に対して学生時代ちょっと苦手意識があったのでちゃんと向き合う機会ができたのは本当に良かった。他人の感性に触れるのは学びになるし感想をもらえるのも嬉しかった。

創作したり文章書いたり、久しぶりにするとやっぱり楽しい。

 

②着物着て出かけた。

落研4年やってた割に着物ひとりじゃ着れなかったので大躍進だった。

おばあちゃんや人から譲り受けた着物ばかり着ていたので自分で選んだ着物を着て出かけたのも新しい楽しさだった。

一緒に出掛けた友人が多趣味な人なので自分が知らない場所にいっぱい連れて行ってもらった。

 

③ジャンクヘッドにハマった

映像コンテンツにハマることが少ない人生だったのでテンションが上がった。

ディストピアにとにかく弱く得体の知れない生物(得体の知れない何かまでいくと苦手)が好きなので好みドストライクだった。

キャラクターのグッズ買ったのもすごい久しぶりだった。続編も観られるといいな…。

https://gaga.ne.jp/junkhead/

 

④インド映画大祭に行った

インド映画は好きだけれど時間が長くて家だとなかなか観る気が起こりにくいので個人的に本当にありがたい催し。今年は噂の『ヴィクラムとヴェーダー』観れたし見そびれて後悔していた『最終ラウンド』も観たのでよかった。

序盤に観た『3』はインド映画とシリアスの化学反応を見た気がする。今年も行きます。

 

⑤映画感想会

映画の感想を定期的に言い合う会が発足した。

感想がぶつかることもあるけれどいろんな見方を聞けたり観る機会が無かったであろう映画をたくさん観れた。

何より、定期的に人に会うきっかけにも繋がる会なのでありがたい。

 

⑥M -1観た

4年間落研やってたくせにお笑い全然見ない人間だったので今更お笑い面白いとなっている。遅い。最近までオズワルドと錦鯉の漫才の動画観てた。

 

美術館や博物館はこんなご時世でもコンスタントに行けていたので楽しかったし良かった。日本酒もたらふく飲んだ。

仕事は一年目より辛かったけどここが正念場だと分かっているので頑張れるかな…。

近しい友人とは変わらず仲良くさせてもらったり、落研の人たちは卒業してからの方が案外遊んだりしているかも。新しい交友関係もちょっとできて嬉しかった。

彼氏とはお互い生活環境がガラッと変わっても変わらず仲良く付き合えているのでありがたい限りだ。

来年度はパーティーとかしたい。

 

 

 

クリスマス2021

先日少し早めに彼氏と5回目のクリスマスデートをした。彼氏とのイベントは日記のように書き残しておきたいという気持ちとせっかく文章を書くなら読まれたいという自己顕示欲がある。

 

例年よりもあっさりしたクリスマスだった。もはや暦ではまだクリスマスを迎えていない。

今年は彼氏が多忙な仕事に転職(転職?)してスケジュールが立てにくくなったために遠出の予定は特に立てなかった。その代わりに普段は行かないような少しいいレストランのディナーを食べに行こうという話になっていた。

 

待ち合わせの時間、彼氏の仕事が押した上に反対方向の電車に乗ってしまったという連絡が来たので(うっかりさん…)と思いながら時間を潰した。昨年まではわたしの予定に合わせてもらうことの方が多かったけれど彼氏が今の仕事をはじめてからはわたしが合わせることが増えた。

19時を過ぎたくらいに彼と合流する。マップアプリを開いた携帯電話を彼に渡した。わたしよりも彼の方が方向感覚が優れているのでそれに甘えてしまうところがある。

仕事のことや今週あった出来事を話しながら彼に手を引かれつつレストランに向かった。

 

駅から少し離れたところにレストランはあった。天井が高いおしゃれで温かみのあるお店だった。

わたしは赤ワイン、彼はビールを頼んだ。

運ばれてきた赤ワインは大きめのワイングラスにものすごくお洒落な量で来た。

「金額がサイゼリヤの8倍。」「口までワインがたどりつかない。」等好き勝手なことを言いながらワインを楽しんだ。失礼である。

彼に味の違いわかる?と聞かれて本当は全然分からなかったけれど指先でちょっとだけ。と答えた。

お洒落で美味しい料理を楽しんでいるとお店の電気が急に消えた。テンポの良い音楽が流れ店中の人がみな手拍子を打ちはじめた。

「おめでとうございまーす!」

店員さんが花火付きのケーキを持ってくる。

隣の席のバースデーサプライズだ。

店内にいる人たちが皆なんとなく手拍子に乗っている。わたしもなんとなく手拍子をした。彼の顔を見ると苦虫を10匹くらい噛み潰したような顔をしている。前世でサプライズに村を焼かれた人の顔だ。笑ってしまった。

そんなにサプライズ嫌いだったっけ?と訊くとまわりを巻き込んでするサプライズが嫌だと彼が答えた。仲間内で完結するサプライズはいいらしい。

ワインと料理をそれなりに飲んで食べて、レストランを出た。首にはラルフローレンのマフラーを2人とも巻いていた。今年のクリスマスプレゼントだ。

サプライズプレゼントの失敗が怖いのでプレゼントは一緒に買いに行く。今年はお互い欲しいものがマフラーだった。

同じブランドの同じ形、同じ値段のマフラーを選んだのでプレゼントにする意味を見失いかけたりした。レジまではお互い選んだものを持っていってお会計を済ませてから商品をトレードした。

 

レストランについてなんだかんだ言いながら彼氏の家に向かった。もしかするとちょっと良いレストランは我々にはまだ早かったのかもしれない。それか大衆居酒屋がお互い性にあってるのかもしれない。わたしはクリスマスに大衆居酒屋だと少しすねてしまうけれども。

彼が一人暮らしをする家について、事前に買っておいたケーキを食べた。4年の付き合いで一口交換やシェアが当たり前になっている。

 

今年も良い一年だったし、なんだかんだでクリスマス(当日じゃなかったけれど)も一緒に過ごしている。来年も穏やかに過ごしたいよ。

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はじめてのカラコン

カラーコンタクトレンズ、略称カラコンである。

どちらかというと垢抜けていない部類の人間なのでカラコンとは縁のない人生を歩んできた。

噂では目が大きくなると聞いた。色がつくとも聞いていた。興味は正直あったけれど手を出す理由と勢いがなかった。

ちなみに、コンタクト自体との付き合いは長い。ハウスダストアレルギーと花粉症のために朝起きると目やにでまぶたがくっついてしまうようになってからはとんとご無沙汰ではあるのだが。

最近は仕事柄もあってコンタクトはほぼ付けずもっぱら眼鏡で過ごしているのだけれど、ふとした縁あってカラコンを着用する機会を得た。

なんかこう、劇的に自分が変わる予測に支配されてだいぶテンションは上がっていた。これつけるだけで激垢抜けドール系人間になるのでは?とすら思った。舐めすぎである。

結構どきどきしながら休日に気合いをいれてつけた以下は反省文である。

 

①メイク薄づき問題

よーしアイメイクごりごりにするぞー!!!

と思いピンクのアイシャドウ、グリッター、アイライナー、マスカラを普段より濃いめに装備したもののメイクの劇的変化は得られない結果となった。悲しいかな奥二重なのでアイシャドウを塗った3分の2はまぶたの奥に吸い込まれていく。あと自分では濃いめにつけているつもりでも実際は薄づきなっている気もする。アイメイク、料理の味付けに困っているときの心証に似ている。作る料理だいたい味が薄い。

まつ毛との距離感がわからずに、というかまつ毛を盛ることを恐れてマスカラは自然に伸びるデジャビュのラッシュアップ使っているのだがまつ毛ってボリュームアップするべきなのだろうか。

 

②彫り足らぬ顔

愛知県産純日本人、祖母の代から鼻低い、頬骨高め、顔丸めヨウチェケラッチョ!

という感じなので目の周りだけ浮いた。

黒や茶のナチュラル系のカラーなら問題はないのだがブルーやピンク系の発色が良いものだと目のパンチにその他パーツが全部負けて目から下が妙にのっぺりしているように見えた。

日々せっせとシェーディングとハイライトを塗ってはいるのだけれど、この二つだけではわたしの顔に濃い陰影はできない。レンブラントに学ぶべきか。

 

③巻きとれる髪

カラコンには巻き髪っしょ!と安易に思い髪を巻いたら雨季の湿度100%に負けて家を出た瞬間に髪の毛が全部萎れてしまった。ケープ惨敗である。

ショートに飽きて今髪を伸ばしているので巻き髪は習得したい技術ではある。ケープじゃなくてワックスの方がもち良いのか?

 

個人的な反省点は「色」「彫」「巻」であるけれど、世の中の人はカラコンをつけるときやメイクの濃さとどう向き合っているのだろうか。

今机の上に高発色のカラコンがあと4セット転がっている。

 

童話とうさぎと幼少期

久しぶりにお題箱を開いたら「好きな絵本!」というリクエストが来ていた。なかなかにかわいい文面とリクエストである。

 

絵本。わたしは本が好きであるが絵本というジャンルにはやや疎い。

今でこそ読書好きを公言し、美術館、博物館、喫茶店等に被れる文化好きモドキみたいな女になっているが小さい頃からそうだったわけではない。

幼少期は、ディズニープリンセスおジャ魔女ドレミが大好きなニコちゃんマークのTシャツがよく似合う天真爛漫な幼児だった。大人しく本読んでるというよりは踊ってるか歌っているかしている子どもだった。当時おジャ魔女ドレミ変身セットやアクセサリーをねだった記憶はあるが絵本をねだった記憶はない。どこで道が分岐したのだろうか。

母は寝る前の読み聞かせを欠かさずしてくれたが本を読む人ではなかった。物心つく前は確か『しろくまちゃんのほっとけーき』、物心ついてからはグリム童話集、ディズニーのアニメ絵本、日本昔ばなしをローテーションして読み聞かせられていた。

グリム童話やメルヘンモチーフのもの、怪談は今でも好きだから幼少期の影響は多少残っているのだろうと思う。しかしながら絵本のバリエーションは記憶に乏しい。

そんな中でも強く印象に残っているものが一つだけある。

 

作・絵 ガース・ウィリアムス 訳 松岡享子

しろいうさぎとくろいうさぎ

 

表紙を見た瞬間の、絵の印象がとても記憶に残っている。

それまで読んでもらってきたどの絵本よりも描き込みが細かかった。ぼんやりとした輪郭は美しくて、日が差しているのであろう森の薄暗い明るさは都会に暮らすわたしにとっては新鮮だった。その中にいる2匹のうさぎの毛並みは平面で見ても柔らかそうだった。

小さいわたしはくろいうさぎが悲しそうな顔で「しろいうさぎとずっと一緒にいられますように」と願う理由はわからなかったが、しろいうさぎとくろいうさぎが一生一緒にいる選択をした姿、たった2匹で完結する物語が予想外にロマンチックで一瞬で好きになってしまった。

 

ぼんやりとした輪郭と、ロマンチックで幸福な結末を見るために何度もページをめくった。自分から何度もくりかえし読んだ絵本はもしかするとこれだけかもしれない。大人になった今でも魅入られるように眺めていた記憶を思い出すと、少しだけ眩しくて胸がときめくような気がする。

しろいうさぎとくろいうさぎ』は「結婚のプレゼントにも選ばれる」らしい。この絵本がある新婚家庭はきっと幸せな空気で満ちている美しい家なのだろうなと思う。

 

まれに友だちと絵本の話をすることがある。

本が好きなのに絵本の話だけはあまり出来ないのが実は少しだけ悔しい。今度こっそり図書館で絵本をめくろうかしら。ちょっと恥ずかしいかな。

強面の人、みんなちいかわみたいな絵描いてくれ

先日、海鮮丼を食べた。

有名なところらしく、いつも行列ができていた。結構前から気になっていた場所だった。

開店とほぼ同時に並んだのでさほど待たずにお店に入れた。ウキウキしながらカウンター席に着いたら、となりにスキンヘッドに柄シャツを着た強面のお兄さんが座っていた。

お兄さん話し方もなかなか強面で端的だった。メニュー見せられる前から食べるものが決まっていたし言葉は丁寧だけれど愛想とかにこやかさとかが一切無い。声は低い。

悪い人では無いだろう。しかし怖い。

かなり美味しい海鮮丼をもくもくと食べながら隣のお兄さんが怖いと思っていた。わたしとお兄さんを隔てるものは薄い透明なパーテーション1枚である。お兄さんが今ここで熱々なお茶をひっくり返したら多分火傷するのわたしなんだろうな。

海鮮丼を食べながら脳みそが微妙な緊張状態になり思考が回転しはじめた。

脳内の「海鮮丼美味しい」の横のスペースが空けられ、隣のお兄さんがデフォルメの、目がキラキラの小動物を描いている映像が流れた。ちいかわだ。

緊張状態の脳みそはお兄さんにちいかわ描かせていた。

「海鮮丼めっちゃ美味い」と「強面のお兄さんがちいかわを描いててかわいい」という二つの感情が並列した。

その一件以来、なんだかツボにハマってしまい「強面な人のちいかわブーム」がわたしの中で来てしまった。働いているときに強面の人が来ると脳内で強制的にちいかわを描かせてしまう。

真剣な強面の顔と太くて硬そうな指が白いノートの上にちいかわを描く。描き終わるとふふっと微笑むのである。かわいい。

あと強面の人が物腰柔らかかったりすると「ちいかわ描いてるしな…」と妙に納得するようになった。勘違いをしたくない。ちいかわを描いている強面の人はわたしが生み出したイマジナリー強面なんだ。

 

ナガノさん、めっちゃ強面の人の可能性あるのだろうか。

不安の虫

ここ最近、不安の虫がすごい。

不安の虫は蟻に似ている。基本的に1匹は小さい。地を這っている。そして、ときおり群れになってぞわぞわと足元から忍びよってくる。

 

仕事のプレッシャーが増えた。1人で対応しなきゃいけないことが増えた。それに加えて実技研修も増えた。販売の仕方が下手くそなので先輩からアドバイスを受ける機会も増えた。給料は4000円上がった。4000円分の重みは胃と腸に来ている。出勤の日は毎朝下痢をしている。

 

しかしながら別に絶望するほど辛いわけではないし、残業も1時間未満なので家に帰ってご飯を食べて12時ごろにはぐっすり寝ている。職場でいじめられることもないし、気が全く合わないという人もいない。心身ともに健康優良女として生きている。

ただ息苦しい。気を配らなきゃならないことが増えて余裕がなくなっていく様子が手を取るようにしてわかる。喉元を真綿で締められるような不快感を日々感じている。これがぼんやりとした不安か?それにしては明確すぎる気もする。

 

自分なりに気をつかいながら生きているのがデフォルトなので、気を配る先が増えるとキャパオーバー気味になる。みんなそうなのかな。不安の虫がぞろぞろやってきた。

「お前の余裕のない態度、不審だよ。」「余裕のない言葉で相手を傷つけたよ。」「余裕がないから相手が我慢して気をつかってくれてるよ。」「余裕がなくたって時間はあるよ。何でやらないの?」「余裕がないお前は我慢が足りなくてわがままだよ。」

不安の虫は大抵、余裕がなくなったときの身勝手さを攻めてくる。逃げようと思ってまわりをみわたすと外に通じる穴がある。手を伸ばしてみたら何かうごめくものを掴んだ。穴は不安の虫で埋め尽くされていた。

諦めたわたしは肩を落として、湯船の中で、あるいは布団の中で膝を抱えながら不安の虫が満足するまで話を聞き続けてじっとやり過ごすのである。

 

不安の虫はだいたい学生のころに大人に言われたことやそのときの経験をベースに話すので、大人になった今は泣くほど辛くなることはない。大人が言うことが必ずしも正しいとは限らないことを知ってから生きることがずいぶん楽になった。

しかしながら、わたしは自分を客観視することに自信がないので自己を肯定しきれない。自分は正しいと思うことが今対面している相手にとっては、あるいは世間的には正しくないことであるという可能性が捨てきれない。正しくない論で相手を押し込めるのは横暴だし相手を傷つける行為だ。それだけはしたくない。

 

余裕がないうえに不安の虫にとりつかれている今は、自分の我を通したい気持ちと、我を通した後に相手に無理をさせているのではないかという不安に襲われる。

 

晴れてる空が好きだ。雨は嫌いでないけど睡魔で余裕を奪われるから辛い日がある。

せめてもの反抗で、自分が信じたい明るい思い出で不安の虫と戦いながら今日も今日とて生きている。せめて美味しいものを食べよう。

 

 

 

ゴリラの肉を食っているエッセイを読む

本を読むことが好きだ。どれくらい好きかと言えば大学の進学先に国文学科を選ぶくらいには好きだ。

大人になるにつれて子どもの頃ほどは読まなくなってしまっているが、読書は今でも楽しいし常に何かしらの本は抱えている。

学生の頃はよく図書館や本屋に行ってずらりと並んだ本の背表紙を眺めた。好きな作家の名前を探していることがあれば、素敵な題名を探していることもあった。表紙は必ず見た。表紙が好きな本はだいたい中身も好きな本だったから。

そんな感じで本を借りたり買ったりしているうちに、なんとなく好みの本とかそのときどきに求めている本を見つけるのが上手くなってきた。読書に関する直感が磨かれたような気がする。

大学に入ると月に3,4冊は文学作品を読まざるを得なくなり、自分が好きな本を読む時間はやや減った。近代の作品を読むことは好きだから全然苦ではなかったけれど、背表紙をじっと眺めて本を探す機会はぐんと減った。

大学を卒業して働き出してからの読書生活は、興味のある文学作品半分、好きなジャンルの小説やエッセイ半分くらいの割合になった。学生の頃は全然読まなかったエッセイを読み始めたのが最近の変化である。

 

先日、手帳を買いに書店に行き、久しぶりに背表紙をじっと眺めた。

わたしにとって本を選ぶ行為は年々難易度が上がっている。好きな作家や好む雰囲気、内容量のこだわりが出てきてしまっているから。昔ほどライトな作品や流行のものを読まなくなった。

本棚は全部好みの本で埋めていたいじゃないか。

手に取ったり戻したり、文庫本のコーナーを三周してやっと購入する本を決めた。

 

高野秀行

『辺境メシ〜ヤバそうだから食べてみた〜』

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167915995

 

本屋で食を求めるゾンビのごとくフラフラとさまよっているとちょっと脳内から貪欲で投げやりな液体が滲み出てくる気がする。

最終的には直感に頼り、手帳と一緒に購入した。

家に帰ってワクワクと開けてみると手帳は鮮やかなビタミンオレンジ、本は辺境で(時に極限状態で)日本では食べない食材を慣れ親しみのない調理方法で食べているエッセイだった。遠回しに最近自分が仕事に疲れていて強靭な生命力を求めていることを感じた。強く生きよう社会人2年目。

本を開き、序文を通り過ぎればゴリラとチンパンジーの肉を焼いて食うところからはじまった。ゾクゾクしてしまう。

アフリカの奥地に暮らす人は槍でゴリラを狩って食べるらしい。ゴリラと槍で相対するのは恐ろしくないのだろうか。なぜゴリラの肉を選んだのだろうか。わたし達がクマの肉を食べるのと近い感覚なのだろうかと矢継ぎ早にふと思った。

この章では、コンゴ人の動物学者が現地の人にゴリラは国際保護動物だから殺して食べてはいけない。と諭した後にゴリラを銃殺したところで笑ってしまった。こういう不謹慎ともとれる笑いが大好きだ。

読み進めていくと、昨今注目されている昆虫食なぞは序の口で、牛の脊髄を食べたり人間の胎盤を餃子にして食べたり、覚醒する草を大量に口に押し込んだりしていた。絶対作者クレイジージャーニーに出てるでしょ。と思ったら本当にクレイジージャーニーに出ていた。

一番好きなのはナガ族の話。知っている人もいるかもしれない。首狩り族として有名である。

ナガ族はいくつかの部族の集まりであるとのことだった。異なる部族の共通点が「首狩り」と「納豆」であると書かれていた。首狩りと納豆横に並ぶことってある?

文章自体は穏やかで楽しそうに終始つづられていた。内容と文章のギャップがとても良かった。

 

こういうアンダーグランドというか、ちょっとぶっ飛んでるものというか。そういうものが好きだ。自分に飛び込む勇気がないからせめて知識だけでも、という気持ちもあるのかもしれない。

しかしながら、わたしは知らないことをワクワクしながら読んでいるが、わたしが知らないことは世界の裏側に住む人々にとっては常識だったりするわけで、なんだか途方に暮れてしまう。

世界って広い。世界に飛び込める人って本当にすごい。

食べる勇気が出ないものが大半ではあったが覚悟を持ってフグの卵巣の糠漬けはいつか食べてみたいと思う。フグの卵巣、生で食べると人間を30人殺せるらしい。ゾクゾクしてしまう。