夜は短し歩けよ乙女
大学生になってはじめての文化祭の日が彼とはじめて会った日だった。
声をかけたら彼があまりに穏やかな声で応えるのでびっくりしてしまった。異性と話すのが苦手なわたしにとっては青天の霹靂だった。
言葉を交わすごとにどんどん好きになってしまい、好きな作家が同じだと気がついたときには多分もう恋に落ちていた。
相手の心中を推し量って、想像して話すのが上手な彼といるのは心地よかった。空きコマになるとよく彼を探して図書館をうろうろしていた。はじめて好きな本を話すことができた嬉しさと、彼と話せる穏やかな幸福に10代最後の年に夢中になった。
彼が好きな作家のサイン本をプレゼントしてくれたときはとても嬉しかった。
ある日、好きな作家の作品が映画化されることが発表された。わたしが国文学科のある大学に進むことを決めるきっかけになった作品だった。
必然的に彼とその話になった。一緒に観に行く?どちらからともなくその言葉は出た。
一緒に映画観に行こうと話した日の夜、彼から本当に見にいく?という確認の連絡が来た。LINEの返信を打ちながら高鳴る胸を押さえるのに必死だった。完全に恋に落ちていた。彼からは「わーい!」と返信が返ってきた。
サークル活動が終わった後に向かった映画館のスクリーンの中では、主人公が恋をしている乙女を必死に追いかけていた。
「なるべく彼女の目にとまる作戦」通称ナカメ作戦を決行する主人公の姿が図書館でウロウロする自らの姿に重なった。
すべてが好きだなあと思った。彼が教えてくれたから、映画を作った監督の名前を知っていた。
映画の終盤、花粉症で鼻水が大量に出る中、鼻をすすらまいと必死になりながら映画を見ていたわたしに、彼はそっとティッシュを差し出した。
画面の中では、主人公が乙女をデートに誘っていた。わたしは彼が手渡してくれたティッシュで静かに鼻をかんだ。
今思い返せば、映画を見ながら鼻水を垂らしつづける女に彼がドン引きしなくてよかったと心底思う。彼は手持ちのポケットティッシュを全部くれた。おおらかなところも好きだ。
帰りにスタバに寄ってわたしはココアを、彼はコーヒーを飲んで感想を言い合った。
池袋駅の地下通路がやたら輝いていた。気がついたら鼻水は止まっていた。本当に良かった。
森見登美彦先生の作品は前に増して好きになった。名も知らなかった湯浅政明監督の作品もたくさん観た。
有頂天家族3と、犬王早く観たいね。