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行った場所の記録

電脳九龍城の思い出

廃墟が好きだ。

というか退廃的なものが好きだ。崩れかけの建物とか、建てこわし中のビルとか、よく熟れた果物とか、枯れかけの花とか、割れた白いお皿とか。あと、耽美派

前置きで性癖暴露大会をしてしまったが、そういったものの中で一番好きなのがかつて香港にあった九龍城砦だ。

九龍城砦、元は明治期につくられた城壁が、戦後にイギリス、中国、香港の領土主張が複雑化してできてしまった無法地帯である。

無法ゆえに、多くの人が集まり、建築基準ガバガバの超高層マンション群ができた。

増築を繰り返された街は何階を歩いているのかすら定かでなく、どこに繋がっているのかわからない管があちらこちらに伸びている。日光はわずかにしか届かない。

屋上にはいくつあるのかわからないアンテナがぎっしりとつまり、すれすれを飛行機が飛んでいく。

わたしが九龍城砦を知ったのは高校生の頃、一目見て心を奪われてしまった。そこから崩れかけの危ういバランスの建物が好きになり、廃墟にも心惹かれるようになった。

ただ、わたしがその存在を知ったときには九龍城砦はその姿を消していた。1993年から1994年の間に取り壊し工事が行われたからだ。

そりゃそうだろう、建築法を無視した上にめちゃくちゃに増築しまくった巨大建築物なんて危なすぎて現代社会が見逃すはずがない。

生まれる時代がもう少し早かったならと、気落ちしながらネットで九龍城砦の写真を収集するわたしの目に留まったのがウェアハウス川崎だった。

ウェアハウスはコンセプトを付加したアミューズメントパークを展開しているグループで、川崎店のコンセプトは「電脳九龍城」だった。

 

あるじゃん!!!九龍城砦!!!

 

馬鹿でかい声で叫んでしまった。

雨で赤茶けてしまった外観に、よくわからない中国語の文字が浮き上がる外観はものすごく魅力的だった。しかも、18歳以下立ち入り禁止。

そんなの、高校生の冒険心と浪漫をくすぐらないわけがないじゃない。

内装も写真で見た九龍城砦とよく似ていて、いつか絶対に行くことを心に決めた。

 

その場所に憧れて、18歳になって、高校を卒業した春に友達を連れてはじめて足を踏み入れた。

堅牢な自動ドアをくぐると、広東語の話し声が真っ先に耳に入った。赤色をおびたトタン張の壁。錆びれたエスカレーターに乗って壁を見ると淋病と歯医者のチラシが所狭しと貼られている。

赤いネオンが煌々と街を照らし、上を見上げると薄暗い中洗濯物がひらひらとはためいている。くすんだガラス窓を覗けばランジェリーを身につけたラブドールが眠っている。

アパートのものだろう整列したポストに錆びた扉、出店に吊るされた北京ダック。

異世界」の一言に尽きる場所だった。

18ぽっちの、イオンとドンキに入っているゲームセンターしか知らない小娘にとって、大人しかいないその異世界は妖しい魅力があった。

 

それから、3回ほど足を運んだ。

2回目からはウェアハウス川崎のイベントで脱出ゲームを実施していたため、それに毎回参加した。

脱出ゲームは場所やイベント内容によって制限時間がかなり短いものも多いが、ここの脱出ゲームは時間無制限だった。電脳九龍城を隅から隅まで探検して、3,4時間かけて毎回謎を解いた。毎回知らない場所を知ることができてとても楽しかった。

 

大好きな場所だった。

昨年11月、ウェアハウス川崎は閉店した。正真正銘の廃墟になってしまった。

今はどうなっているのだろう。もう解体されてしまっただろうか。

今はなきウェアハウス川崎、青春にすべりこんでこの場所があったこと、かけがえのない思い出になって大切に心にいつもしまっている。

 

肉筆浮世絵名品展に行ってきた。

 春の吐息を感じさせつつも、北風が吹き荒ぶ2月頭に太田記念美術館40周年記念の肉筆浮世絵名品展に行ってきた。

若者や観光客があふれる原宿駅にほど近い、大通りから路地に入った閑静な場所にこの美術館はある。わたしがこの美術館に出会ったのは2年前。大学の課題で美術館に関する発表をしなければならなくなり、怖い浮世絵展を観に行ったことがきっかけだった。

手拭い専門店、かまわぬを横目に見つつ小さな入口から中に入ると受付はほどほどの人口密度になっていた。チケットを購入し、展示室に入る。

今回の展示会の目玉は歌麿北斎、応為であった。わたしは奥行きの描き方や明暗の美しさで一時ツイッターを騒がせた北斎の娘、応為の『吉原格子先之図』を一目見たいと思い足を運んだ。

展示室は一階と、二階にあり、応為の絵は一階の序盤に飾られていた。想像よりも小さな絵の中で光に照らされた花魁の顔や着物の赤、部屋の中の明かりに照らされた若い衆の様子は幻想的で艶やかで、どこか近代的な美しさを醸し出していた。

解説パネルには北斎美人画に関しては応為に敵わないと語ったと書かれていて、その才能を知るには十分なものだった。少なくとも応為の絵以上に繊細で艶やかな作品はその場にはなかったと思う。

となりにあった北斎の虎の絵も非常に迫力があった。対になっているという龍の後並んだらどんなに見事であろうか。その後、二階に行った際に『羅漢図』を見たがそれも圧倒的なかっこよさがありとても印象的だった。

応為と北斎の迫力ある絵を見た後はゆっくりと他の展示を見て回った。花魁や美人を描いたものが多く、着物の柄や重ね方が洒落ていて美しかった。

花魁、武士の娘、奥方。さまざまな美人の姿とそれぞれに合った着物の着方や色の重ね方は見ていてとても興味深い。

魅力的なものは多かったが個人的には磯田湖竜斎の『雪中美人図』が好きだなと思った。

雪がまばらに残る中、風に煽られる娘の姿は可憐で、舞い上がる水色の着物からちらりと赤い襦袢がのぞくのは着物にしか出せない色気があった。黒い帯をきりりと締めているのも良かった。

最近、西洋のものや近代のものばかり見ていたので江戸時代の浮世絵に触れたことは新鮮な体験だった。

一通り満喫して美術館を後にし、しばらく歩くとオリンピック後に解体予定のJR原宿駅の姿があらわれた。街並みをそっくりそのまま残すことはできないが、絵はそれを可能にするのだろうな。そんなことを思いつつ、大正時代より原宿の玄関口として建っているその駅舎を写真におさめた。

 

 

 

長崎タウンに行ってきた(2日目)

 朝、目覚ましが鳴る1時間前に目が覚めた。

お茶を沸かして、前日に買っておいた福砂屋のカステラを頬張りつつ、日が昇る中走る路面電車の様子をぼんやりと眺めた。底のザラメがとても美味しかった。

ゆっくりと身支度をして忘れ物がないかを確かめてホテルの部屋を出た。チェックアウトの手続きを済ませて塩の香りが混じる川沿いを歩いて目的地に向かう。長崎旅行2日目の朝一の予定は軍艦島のクルージングだった。

わたしは廃墟が好きだ。一番好きな廃墟は今はなき九龍城、そして二番目に好きな廃墟が軍艦島である。 

軍艦島は正式名称は端島。かつては炭鉱で栄えた島である。かつては多くの人々が住んでいたが1974年に閉山し、無人島となった。日本ではじめて鉄筋コンクリートで集合住宅が作られた場所でもある。

退廃と人工的なかっこよさが共存した世界遺産。ずっと行ってみたかった。軍艦島を見るために長崎に来たと言っても過言ではなかった。

胸をときめかせながら軍艦島デジタルミュージアムに向かった。向かう途中で見た、朝日を受けてきらめく海は美しかった。

ミュージアムで受付を済まし、クルーズの時間まで展示を見て時間を過ごした。映像が迫力があってとても良かった。VR体験などもあってリアリティがすごい。台風の影響で軍艦島に立ち入ることができなかったのでデジタルミュージアムで島の中の様子を少しでも実感できたのは良かった。

映像を見ながら元島民の方の話を聞くこともできた。個人的に好きなエピソードは島にあった監獄が酔っ払ったお父さんたちの反省室になっていたこと。

楽しい時間を過ごしている間にあっという間にクルーズの時間がきた。酔い止めも飲み準備万端、意気込んで船に乗り込んだ。

 

その日は普段の船がドッグ入りしていることによって小型船に変更になっていた。ちなみに海はしけであった。

水しぶきでときどき真っ白になる窓、大きく揺れる船、えづく客、歩くこともままならぬ船内。

デッキに出ることもできたが怖くて船内にすぐ戻ってしまった。デッキで摑まることができるものはトイレのドアノブしかなかった。事前に右回りで島を回ると聞いていて、右側の席を確保したのに左回りに急遽変更。曇る窓の向こう側でぼんやりと浮かぶ島と一瞬デッキに出た時に半分見えた姿。その日の軍艦島はさながらパズーの父親が見たラピュタの姿であった。

 

2時間のクルーズを終えて港に戻る。酔わなかったことだけは幸いだった。まあ一生できない経験かもな…と思いながら旧上海銀行長崎支店に向かった。

ここはとても素敵な建物だった。ツイッターにも写真をあげたのだが青い壁と赤い絨毯、白く発光するチューリップの形のランプ、近代の息づきを残したおしゃれで品のある場所だった。展示もハイテクで興味がある人にはとても良さそうだった。当時の上海の流行歌を蓄音機で流せるブースや、写真撮影ができるところもあった。個人的に道路に面した椅子がひとつだけ置いてある小さな部屋が印象に残っている。なんとも優雅ではないか。

お客さんもいなかったのでゆっくり見て周り、写真をパシャパシャ撮った。

その後、オランダ坂で岩崎屋本舗の角煮饅頭を食べた。軍艦島の思い出が少し悲しかったので課金してちょっと高い方のを食べた。トロトロで柔らかくて、味が染みていて美味しかった。

坂を上がっている途中、教会でお葬式の準備がされているのを見た。ああ、ここは長崎なんだ。わたしの家の近所の教会はミサはやっているけれどお葬式をやっているのは見たことがない。かつて葬儀社でアルバイトをしていた時も仏式と創価学会の式ばかりで、キリスト教式の葬儀を間近に感じたのははじめてだった。

坂を上りきった先には堂々たる大浦天主堂がそびえ建っていた。聖母マリア銅像が坂の下に広がる長崎の街を見守っていた。

中に入ると教会特有の、シンシンとした空気に包まれた。今まで見たどの教会よりも立派で厳かな場所だった。ステンドグラスは美しく、天井は芸術的だった。ここは写真撮影が禁止されていたので実際に足を踏み入れなければ見ることができない。

教会でささやかな祈りを捧げ、隣接されているキリスト教博物館に足を踏み入れる。ここでは日本のキリスト教の歴史をよく知ることができた。迫害の歴史は時に胸に刺さる。江戸時代に生きた小さな女の子が「お父様、お母様、先にパライソに向かいます。」と言い残して亡くなっていったという記録がわたしは忘れられない。

義務教育は、天正遣欧少年使節とわずかなキリシタン大名の存在と踏み絵と天草の乱しか教えてくれない。キリスト教の名前と宗派の名前しか教えてくれない。教会という場所で信条や詳しい歴史を知ることができたのはとても勉強になった。

大浦天主堂を出ると日は傾き始めていた。ふたたび新地中華街に戻り、高速バスに乗る。さようなら長崎タウン、はじめての一人旅行がこの街でよかった。

トンネルを抜け、山の景色を眺めながら空港に向かう。

空港にたどり着くと五島列島の名産地獄炊きうどんを食べた。アゴ出汁とねぎと生姜のつけ汁と生卵と醤油と鰹節につけて食べる細めのうどんは美味しかった。

次は天草に行きたい、そして軍艦島にリベンジしたい。その思いを抱えつつ飛行機に乗った。

機体は揺れていたのに、行きよりは墜ちる心配をしなかった。

窓からのぞく地上の光が増えるほど、自分の住む土地に戻ってきている気がした。

ハマスホイとデンマーク絵画展に行ってきた

 冬晴れの空が澄んで見える1月末に上野の東京都美術館で開催されているハマスホイ展に行ってきた。ハマスホイはデンマークの近代画家だ。西洋美術館に展示されている作品を観て以来ずっと気になっていた。

みはしの蜜豆でお腹を膨らませつつ、事前に購入した前売り券を手に都美術館に向かった。

ハマスホイ展の展示フロアは3つあった。1つ目はデンマークの近代の画家の展示、2つ目と3つ目がハマスホイの展示だった。平日だったからだろうか、それとも展示スペースが広かったからか、人はいるもののじっくりと見ることができた。

照明が落とされた部屋の中、水色の壁に冷たい大気と晴れの日の暖かさをわずかに感じられるような自然豊かな北欧の風景画がずらりと並んでいた。油絵がほとんどで絵の前に立つと実際にその風景を見ているような気持ちになった。

素人のため、あまり詳しいことは言えないが、じっくりと見ると色の重ね方が違うことに気がついた。その効果によってだろうか、立つ場所によって絵の中の光の加減が違うことが面白かった。部屋の中にいる人物を描いているようなものは窓から差し込む光と展示品にあたっている光が絶妙に合って逆光や、眩しさを感じることができた。

1つ目のフロアは閑静な風景画の他、漁師や海沿いの町を描いたもの、人物画が展示してあった。空の青、海の青、瞳の青。すべてのものが青くぼんやり発光しているように見えた。

2つ目のフロアからハマスホイの展示が始まった。風景画のほか、屋内にいる妻イーダの姿を多く描いていた。結婚したばかりのイーダの姿、10年後のイーダの姿、その両方を見て年月の重さを感じられたのは良かった。部屋の色や、健康状態によって肌の色艶が違ったこと、服装の雰囲気が年を重ねてもあまり変わっていなかったことは印象的だった。

また、絵画の中に出てきたハマスホイの家で使われていた陶器の入れ物が飾ってあったことに感動した。継いだあとが年季と生活を醸し出していた。

今まで西洋の絵画は宗教画か、明るい色味の緻密でリアルな油絵か、ピカソのような奇抜なもの、あるいは社会批判を含むポップなもののイメージが強かった。ハマスホイを含むデンマークの絵画が落ち着いた色味の、静かで美しいものだったことは新鮮だった。個人的には好きだなと思った。

写真撮影は禁止されていたためポストカードを買って帰った。ミュージアムショップで売られていたカップやバッチ、ピアスなどの装飾品もシンプルでおしゃれだった。

絵画の新しい魅力を発見できてよかった。

いつかデンマークに行きたい。

 

 

 

長崎タウンに行ってきた(1日目)

1月下旬、大学生最後の春休みを目前に長崎タウンに行ってきた。高校のころからずっと軍艦島に行ってみたくて念願の長崎旅行だった。

 

旅程は1泊2日。朝、親戚一同の反対を無視してネットで飛行機とホテルのパックプランを購入したことに文句を言われつつも暖かく見送られて家を出た。まだ日が昇る前の暗い空の下、自転車を漕ぎ、電車を乗り継ぎ、空港にたどり着いた。

保安検査にもたもたしながらも大きなトラブルなく無事に飛行機に乗ることができた。飛行機に乗るのは修学旅行以来2回目。正直、墜落しないか怖くて仕方がなかった。遥か上空から日本列島の一部が見えて日本は本当に島国なんだ…と実感したりした。

墜落はしなかった。約1時間半のフライトを終え、長崎空港に降り立つ。スキップしつつ高速バスのチケットを買い、30分バスに揺られて長崎タウンに向かった。山と緑に囲まれた高速道路を走り、田舎なんだなあと思っているとトンネルに入った。

 トンネルを抜けるとそこは街だった。

後々知ることになるが、長崎タウンは四方を山に囲まれていて真ん中のくぼみになった部分が街になっている。突き当たりは海で、外側からは中が見えないような形をしている。急に現れた市街地は異世界のようだった。

長崎新地に降り立ち、中華街を目指す。目当ては江山楼のちゃんぽんである。

横浜の中華街に比べるとこじんまりとした門をくぐった。春節の前だったからか赤い提灯がたくさんぶら下がっていた。ナビにしたがって歩くと突き当たりに鯉が泳ぐ中華店があった。名前を見るとそこが江山楼だった。

お店に入ると着物に割烹着をきた店員さんが席に案内してくれた。出されたお茶が香り高くて美味しかった。1500円の特上ちゃんぽんを見ながら1000円のちゃんぽんを頼んだ。学生なので。

お店は11時半にも関わらずほどほどにお客さんが入っていた。女一人客はわたしだけでドキドキした。

届いたちゃんぽんはとても美味しかった。

とんこつのようなまったりしたスープ、もちもちの麺、海鮮と豚肉、野菜がたっぷり入っている。今までちゃんぽんをロクに食べなかったことが申し訳なくなった。

腹ごしらえを終えて路面電車の一日乗車券を手に入れたのち、歩いて出島に向かう。徒歩10分もしないくらいの距離にあった。中に入ると鎖国当時の街の風景が蘇っていた。

展示されているものは当時の暮らしを示すものや出土したものの数々。個人的には花や唐草の柄の入った襖、畳の上に置かれたずっしりとした洋風の家具がお洒落で素敵だと思った。こんな部屋に住みたい。

入ってきた時と反対側の出口から出ると路面電車が走っていた。緑とクリーム色の塗装で二両編成。なんと可愛い電車だろうか。

路面電車に飛び乗って、長崎原爆資料館に向かう。地元の人が多く利用しているようだった。しっかりした革の鞄を手に持った素朴な雰囲気の女子高生がたくさん座っていた。

しばらく揺られて路面電車を降りる。急な坂を登ると原爆資料館が姿を表した。

中に入ると筒状の建物にそったスロープを降りるよう言われた。展示室は地下二階であるらしい。壁を見ると等間隔で年号が書かれていた。2010、2005、2000、1995、1990…

1番下まで降りるとそこは1945年だった。時計の音が鳴り響いている。展示室に入ると原爆投下前の長崎の風景写真が展示されていた。よくある戦前の、昭和の風景だ。眺めながら次の展示室に入ると時計の音が消えた。

そこは爆心地だった。

鉄骨は溶けてねじ曲がり、わーんわーんとした音がどこからともなく聞こえる。最奥には表面が溶けたマリア像と今にも崩れ落ちそうな教会の門が静かに街の様子を見下ろしていた。

ディストピア。その形容が浮かんだ。退廃的なものは好きなのに、写真は一枚もとることができなかった。

次の展示室は被害状況のことについてさまざまな情報が展示されていた。長崎は推定総人口24万人のうち原爆によって73884人が死亡、74909人の負傷者を出したとのことだった。半数以上の人が原爆によって被害を受けている。

人の手によってそれほどの死傷者を出すことは平和な現代を生きているわたしにとってはありえない出来事だった。震える手を抑えつつ、死傷者の数が書かれたパネルの写真を撮った。戦争がもたらす感覚の麻痺をはじめて手に感じた気がした。

映像資料では原爆の威力が及んだ範囲が映し出されていた。さっきまでいた場所、これから行く予定の場所、全てが赤く染め上がって行った。トンネルを抜けた先は街だった。その街が原爆投下直後、火の海に変わったことが描かれていた。

 

すべてを見終わった後、記念館で黙祷をして平和記念公園に向かった。公園の中は銅像がたくさんあった。全て追悼のために、平和を祈るために作られたものだった。

有名な平和記念の像は想像の5倍大きかった。ポーズを決めて写真を撮る海外からの観光客を見て、ああ、本当に今は平和な世の中なのだとふと思った。

 

路面電車に乗ってトルコライスを食べるために思案橋に向かった。ツル茶んというお店が発祥らしい。夕刻ゆえ、商店街で買い物をしている人が多くいた。レトロで明るい喫茶店に入り、トルコライスとハーフミルクセーキを頼んだ。

出てきたトルコライスは大皿の上にピラフ、ナポリタン、カツ、カレー、サラダが乗ったボリュームのあるものだった。昼のちゃんぽんがほんの少しお腹に残っていたため少し苦労しつつも完食した。若者的には美味しかった。

そのあと出てきたハーフミルクセーキもハーフ?これでハーフ?と思いつつ食べた。冷たくしゃりしゃりしてて優しいミルクの甘さが美味しかった。これで合わせて1700円はコスパがとても良いな…と思った。

再び路面電車に乗って稲佐山の夜景を見に行った。

途中、行先設定を間違えて薄暗い川沿いをひたすら歩き、全然違う場所にたどり着いて途方に暮れたが、どうにかロープウェイ乗り場にたどり着いた。稲佐山のロープウェイ乗り場は淵神社という神社の中にあった。別の世界に行くための境界だ、と密かに思った。

5分ほどロープウェイに登り山頂に着く。美しい真夜中に星々が絡まったような夜景が広かっていた。昼には焼け野原だった長崎の街は、夜には美しく息づく場所に変わっていた。

景色を堪能し写真を一通り撮りおえて、帰りのロープウェイに乗って神社まで降りる。行先設定が正しい帰り道は非常にスムーズに運んだ。

宿に着くとはじめて一人で寝る夜がさみしくも嬉しかった。

犬山城に行ってきた

お正月の、寒いけれど暖かい空気が満ちる日に犬山城に行ってきた。

小さい頃犬山モンキーパークにはよく連れて行ってもらったけれど犬山城に足を踏み入れるのははじめてだった。成田山の初詣渋滞に巻き込まれながらなんとか駐車場を見つけて20分ほど歩いて向かう。

城下町の雰囲気を残しつつ、観光地らしく食べ歩きのお店が立ち並ぶ。たこ焼きや団子に混ざって五平餅や飛騨牛の肉寿司、飛騨牛コロッケ、飛騨牛の串焼き…と隣県岐阜の名産品が売られている。

帰り道に飛騨牛の肉寿司を食べたが、A5ランクの飛騨牛を使っているということもあってとても美味しかった。値段は二貫で600円と高いが幸福感で心が満たされるので買う価値はあると思う。

通りを抜け、神社の参道を横切り、坂を登る。この坂、あまり舗装が行き届いておらずぼこぼこしていた。お孫さんと犬山城を参観しにきたのであろうおじいさんが頑張ってベビーカーを押して登っているのが微笑ましかった。

入場料を払い、城の敷地内に入る。

巨大ではないが堂々たる犬山城、もとい白帝城の姿が現れた。白帝城という別称は江戸時代の儒者荻生徂徠漢詩から名付けたらしい。

わたしは城のことは詳しくないが端正で風格ある姿であるなと感じた。あんまりペカペカした感じがなくて、ずっしりしている。

天守閣への入場待ち時間は20分。並んで待つ。前後から強めの尾張弁が聞こえており、とても愛知県に来た感じがした。

順番が回ってきて靴を脱ぐ用の袋を渡された。帰る時に気がついたのだがスリッパの貸し出しもしていた。靴を脱ぎ、いよいよ城の中に入る。

かつて、名古屋城に一度行ったことがあった。

その時は大奥や時代劇で見るような中身をイメージして行ったら、江戸時代の街中を再現したジオラマ天守閣に作られたお土産コーナーが待ち受けていて悲しくなってしまった。今回の犬山城観光は城リベンジである。中身はいかに。

玄関口?は石垣が剥き出しの状態で現れた。傾斜目算80度の階段がかかっている。とりあえず、そこでジオラマは無い直感を得られたので良かった。手すりに頼りつつ階段を登る。

城内は4階建てで、お城の建築様式の説明がありつつ、お城に使われている鬼瓦、当時の甲冑や合戦の記録が描かれた屏風の展示、城の模型が飾られていた。江戸時代の城番付、石高のランキングが書かれた資料もあった。

ひんやりとした板敷の床をふみながらそれらを見る。内装とかも極力当時の雰囲気を残したものなのだろうな、という感じが伝わった。途中、籠城する時に城主が過ごす間が出てきたのがよかった。

一通り見終わっていよいよ天守閣に登る。

犬山城では天守閣の周りを囲うベランダのようなところを歩くことができる。先ほど歩いた城下町とその反対側にある木曽川と山々を眺めることができる。遠いが現実感をきちんと得られる距離感で非常に綺麗だった。一緒に行った家族曰く、川の向こうは岐阜県らしい。権力を持つ人が高いところに住む気持ちが少しだけ分かった。

城から出て、外にある売店で味噌まんじゅうを購入して飛騨牛肉寿司を食べて帰路に着いた。

 

犬山城に行くことを検討している人は軽装かつズボンで行くこと、靴下を履いていくことをお勧めする。(スリッパは脱げる可能性があるためやめた方が良い。)

城リベンジできて良かった。

 

(ネタバレ注意)映画すみっこぐらしを観てきた

冷たい風が吹く12月某日、映画すみっこぐらしを観てきた。

クレジットカードを持っていないために、上映時間2時間前に映画館に行く。平日の昼間にも関わらず残席1、奇遇にも1番すみっこの席が控えめに空いていた。

ウィンドウショッピングや、本屋の冷やかしをしつつ2時間の時間を潰し、いよいよ上映時間がやってきた。前情報で攻殻機動隊、ジョーカーより鬱など迫力のある字面がツイッターで並んでいたが、如何に。

 

結論から言うと、泣いた。最後の10分あちこちからすすり泣きの声が聞こえていた。かく言うわたしも例に漏れず。ウォータープルーフのマスカラをしてきてはいけなかった…観終わったあとにめちゃくちゃ化粧直した。

個人的な感想としては、多面的なメッセージというか、いろんな解釈ができる結末だったと思う。攻殻機動隊もジョーカーも未修なのでわからないけれど、人によっては鬱と捉えられる面も確かにあった。と思う。

映画の簡単なあらすじとしては、すみっこが好きなキャラクターたちが昔話が書かれている絵本にすいこまれて、絵本の中に住むひよこ?(謎の幼鳥)の居場所を探す話。すみっこたちの説明が序盤にされるのですみっこ初心者にも優しい。たくさんの人に観て欲しいと思えた映画だった。

ちなみに、個人的に1番好きなすみっこはざっそう。ポジティブな草すき。

 

以下、結末というか、壮大なネタバレを含む感想、考察になるのでネタバレダメな人や今後少しでも観に行く可能性がある人は絶対に見ないで欲しいです。絶対に、絶対に。フリとかではなく本気で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的に、はじめにぺんぎん?に仲良しのすみっこがいないことに少し違和感はあった。

しろくまにはふろしき、ねこにはざっそう、とかげにはにせつむり、とんかつにはエビフライのしっぽ。タピオカとほこりは群れでいるのでこの場合はカウントしないとして、ぺんぎん?は一人で本を読んでいたり、クレーンに世話を焼かれている感じがしたり。わりと孤独感強めな感じがした。ぺんぎん?とひよこ?が仲良しになることの伏線だったんだと思う。ぺんぎん?が自分探しをしている自らとひよこ?を結びつけたシーンは本当にかわいかった。あたまなでたくなった。

中盤、絵本の世界ですみっこたちはバラバラに飛ばされてしまう。ねこは桃太郎に、しろくまはマッチ売りの少女に、とかげは人魚姫に、とんかつは赤頭巾に、ぺんぎん?はアラビアンナイトに。ここらへんも昔話とすみっこを関連付けて考えると臆病なねこを鬼と対峙させるところや、寒さが苦手なしろくまに極寒の中マッチを売らせる、自らの身を偽っているとかげに種目違いの男に恋をする人魚姫を役をさせる、食べて欲しいとんかつに赤頭巾の役割をあてがう、本来は孤独を抱えた人間不信の王様の寝物語である冒険譚アラビアンナイトを自分探し中で河童の疑惑が強いぺんぎん?が読んでいたことや、役割を与えられたこと、それぞれが絶妙にマッチしているな…と感じた。しろくまが物語の世界を脱出するところやねこが鬼を退治せずに仲良くなるところ、とんかつが結局食べられないところはそれぞれらしさが滲んでいて良かったな、と思う。

それぞれが物語の中で奮闘する中、ひよこ?はしろくまがいる赤頭巾の世界に飛ばされる。赤頭巾の世界をしろくまと共に脱出してすみっこたちと合流していく。

終盤、ひよこ?がみにくいアヒルの子ではないかと考えたすみっこたちはひよこ?を白鳥の群れのもとに連れて行くが、ひよこ?はみにくいアヒルの子ではなかったことが判明する。

居場所が見つからないひよこ?は物語の登場人物ではなく、絵本の余白に落書きされたものであったことが明かされる。

居場所がないひよこ?だけれどまだすみっこたちの仲間になる可能性がその時点ではわたしの中にはあった。というか、多分そうなるだろうと思っていた。

ねこがページを破いてしまった影響で絵本の世界の境目はあいまいになっていく。その中ですみっこたちは自分たちがもといた世界と絵本の世界の破れ目を見つける。ひとりひとり、外の世界にもどっていくすみっこたち。ぺんぎん?はひよこ?に一緒に外の世界に行くことを提案するが絵本に描かれたひよこ?は外に出ることができない。わたしはここで一度涙腺が崩壊してしまった。絵本の世界に居場所がないひよこ?から外の世界という選択肢まで奪ってしまうことはあまりにも現実的で、その中でひよこ?に手を伸ばし続けるぺんぎん?の姿が優しくて切なかった。

結局、ひよこ?は外の世界に出られず絵本の世界にとどまることになる。もうここで、わたしは顔を覆い、劇場の子供たちは不安げな声をあげていた。

ただ、そんな中すみっこたちは自分たちができる最善のことを考えて行動した。ひよこ?が描かれた余白のまわりに自分たちをモチーフにしたひよこを描いた。その姿を観た時に大きな感情で押しつぶされた。

精一杯、現実に向き合ってひよこ?のことを考えるすみっこたちの姿はあまりに切実だった。

ひよこ?と同じ空間にいられない。そしたら、どうする?という先が描かれたことがこの映画の1番の希望で光だった。

ただ、その反面、すみっこたちとひよこ?の間にはどうしようもなく超えられない壁があって、すみっこたちとひよこ?が本当の意味で再会することはないのかもしれないという現実が考えられてとても切ない気持ちにもなった。

それでも、エンドロールで互いのことを想い合うすみっこたちとひよこ?の姿はかけがいのないものに違いなかった。

すみっこをマスコットとしてみるか、ひよこ?に自己を投影してみるか、はたまたすみっこたちに自己投影をするか。単純にストーリーを追うか。さまざまな見方とたくさんの解釈があるのではないかと思った。個人的には、こんな短い時間の、こども向けといっても過言ではない映画でいろいろな面を観せられるとは思っていなかったため、感情がバカデカくなってしまった。

大人にもこどもにも、たくさんの人に観て欲しいと思えた映画を観れて本当に良かったです。